床の間が現在のようになったのは、室町時代から安土桃山時代にかけてのこと。僧侶が部屋の一番良いとされる場所に仏画を飾ったり、お香をたく入れ物や花瓶を置くための棚を作り、それが書院造(しょいんづくり)という住宅様式として確立され、貴族や武家の家で取り入れられるようになりました。
やがて、床の間は、自分より身分の高い客人をもてなすための客間の装飾として商人や庶民への間に広がっていきました。
■はじめはゴザのような薄い敷物だった「たたみ」
この床の間に必ず敷かれたのが「畳」。日本文化の多くが中国大陸から伝わったものが多い中で、畳だけは、日本で生まれたものです。すでに奈良時代にはあったとされていますが、当時はゴザのような薄い敷物で、使用しないときはたたんでしまっていたことから、「たたみ」と呼ばれるようになりました。
現代の形に近づくのは平安時代に入ってからで、厚みが加わるとともに部屋に据え置いて使うようになり、大きさの規格化が進められました。平安時代中期に編纂された延喜式では、持ち主の階級により大きさや縁の色が定められています。
また、室町時代に入ると、書院造の登場によって部屋全体に畳を敷くようになり、茶道の拡大に伴って、正座と共に普及していきました。
ところで、和室に敷かれている畳、一見長方形に見えますが、長方形のものは中心にあるもののみ。それ以外の中心を囲っている畳はそのほとんどが五角形で、なかには六角形や七角形をしているものもあります。これは、和風家屋は建築の際、形が微妙にゆがんでしまうためで、その微妙なゆがみに合わせて職人が畳を変形させて作ったからです。

最初に書いたように、畳は日本独自の文化ですが、戦時中に日本の植民地にあった台湾では現在も畳が使用されていることがあります。また近年では海外でも和風住宅が造られるようになり、畳の文化も少しずつ、海外に認識されています。
一方で、日本人のライフスタイルの変化から、畳職人の数が大幅に減少しており、後継者不足に悩まされています。日本の伝統を守る大切な畳文化、現代のライフスタイルにあわせた変革が必要な時期に来ているのかもしれませんね。
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