江戸の町はかつて「旗本八万騎」ともいわれ、幕府の兵隊である「旗本」が多く住んでいました。また同じ兵隊の「御家人」という身分のものもいました。


『旗本退屈男』は、直参旗本・早乙女主水之介を主人公とする痛快時代小説。小説家・佐々木味津三による小説シリーズ。また、大人気だった時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』では、八代将軍吉宗が庶民の生活に入りこんだときの身分は“め組の居候で旗本の三男坊”という設定になっています。

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水野十郎左衛門(初代 市川左團次、『極付幡随長兵衛』部分、豊原国周、1884年)Wikipediaより

小川恭一『江戸の旗本事典』にある旗本の定義によると、

①家禄二百俵以上の家。

②御目見(おめみえ)以上の家。

③旗本は軍事用語で幕府の小姓組・書院番・新番・大番・小十人の五番士を指す

とあります。簡単にいうと、大きな違いは将軍にお目通りできるのが旗本で、できないのが御家人という身分になります。

この旗本は今でいうところのいくらくらいの収入だったのでしょうか?

一口に江戸時代の収入といっても、時期ごとにその相場が変わってくるので一概にはいえませんが、同書によると、俗に米一石は金一両としており、一両は現在の五万円から十万円と計算しています。

そうすると、二百俵の蔵取りの武士は年収七十石ということになり、一両五万円であるとすれば、年収三五〇万円、十万円であれば七〇〇万円ということになります。

知行三千石の旗本だと、一両五万円の計算では一億五千万円の年収ということになります。ところが、三千石は農地の生産高で、収納は一千五十石(35%)となり、五二五〇万円となります。

しかし武士は家禄相応の使用人を雇うことになっているので、これらの出費も相当なものになります。
御家人の御徒(かち・下級武士)でも使用人を二人使うという面子があったので、それを考えると生活に余裕があったかどうかは疑問が残ります。特に、江戸後期の武士は生活に困窮していたことが、多くの資料により明らかになっています。

入るお金も多いが、出費も多い。これが多くの武士の生活実態だったようです。

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