それが、漁師でもない一般庶民の間に浸透していくのは、江戸時代になってからとされています。長辻象平の著した「江戸の釣り」によると、「釣り文化は、平和の訪れ・江戸湾の地形・仏教思想からの解放・テグスの伝来・・・の四条件」がそろうことで開花した」とあります。
武将として釣りの楽しさを最初に発見したのは伊達政宗。家臣を連れてハゼ釣りに明け暮れていたそうです。
武将として一番最初に魚釣りの夢中になったとされる伊達政宗
その後、江戸に入り武士の間で始まった釣りは、五代将軍綱吉による「生類憐みの令」で十数年間ほど禁止されますが、やがて庶民の間にも浸透して入門書も出版されるようになりました。注目すべきは当初から女性も釣りの面白さを知り、大名の婦人や姫君、旗本の奥方も釣糸を垂れていたのだとか。
日本最古の魚釣りの専門書として有名なの書物は「何羨録(かせんろく)」。これは、陸奥国黒石3代当主・津軽采女が亨保8年(1723年)に著したものです。

その内容は、采女が熱中してたキス釣りのことを中心にした上・中・下の3巻からなるガイドブックで、上巻は釣り場の詳解、中巻は釣り具やエサについて、下巻は釣期や天候について詳細にまとめられています。


釣り場図や竿、仕掛け図も細かくまとめられた内容で、江戸時代を通して出版される魚釣りのガイドブックの手本になったともいわれています。
滝沢馬琴も葛飾北斎も釣糸を垂れ、坂本龍馬も土方歳三も釣りが好きだったといいます。
現代、釣りといえば、釣り人たちの間では「大潮の日」が好まれますが、江戸時代はそれとは違い、「小さ潮の日」が釣りに適している日だとされていました。その理由は、当時の釣りは今と違い、リールを使用しないため、満潮時の釣りは危険だったためと考えられています。
このような武士による釣り文化への関心と浸透が、世界で初めてサケの回帰性を発見した青砥武平治の業績に関わってくるのかもしれません。
画像出典:水産総合研究センター図書資料デジタルアーカイブ
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