「新撰江戸名所 日本橋雪晴圖」歌川広重
「金融」ということでいえば、豪商が大名に融資をする「大名貸」などよく知られていますが、江戸の町ばかりではなく、各地の村々にも高利貸し業者や質屋があり、町人や農民にお金を貸していました。これらの人々は現代でいう「庶民金融業(サラ金業)者」にあたります。

金吹方之図より
江戸時代は、都市部を中心に貨幣経済が浸透し、経済活動としての金融業も活発に行われていました。これらの業者が不当に金利を貪らないように、統制を目的として幕府のほうでもたびたび御触書で金利を決めていました。
中江克己の『お江戸意外な生活事情』には、その日暮らしに便利な金融制度のことについて紹介されています。
まず「月済金(つきなしがね)」。これは、あらかじめ返済期限を決めておき、毎月決まった金額を返済する制度として利用されました。
つぎに、「日済金(ひなしがね)」。これもあらかじめ期限を切り、その日までに毎日決まった金銭を返済する約束で貸す制度です。
3つ目は「烏金(からすがね)」。これは、日歩の利子で借りる高利の金ですが、夜明けに鳥が鳴く頃に返済するという意味で名づけられた制度です。「烏金」は、江戸時代の百科事典にあたる『嬉遊笑覧』でも紹介されており、貸付期間は一夜限りでした。
4つ目は、「百一文(ひゃくいちもん)」。これは、朝百文借りたら、夕方に一文の利息を加えて返済する制度で、棒手振りなど、その日に商いをする商人が、仕入れのために利用したようです。
こうしてみていくと、いずれも高利の短期金融でした。

また、いつの時代にも「闇金」は存在していたようで、「筆墨料(ひつぼくりょう)」などの名目で取った闇利息も横行していたようです。
お金がなくて首が回らなかった人々は、いつの世も存在していたようで、もしかしたら「闇金 ウシジマ君」みたいなどろどろした話も江戸時代にあったのかもしれませんね。
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