静かな夜闇に響く鐘の音は、過ぎゆく今年を思い返し、来たる新年に希望を寄せるひとときの風物詩。
近年では、この除夜の鐘を「うるさい」と思う方もいるようで、苦情によって除夜の鐘をとりやめる寺院も出てきているそうですね。
大晦日の「除夜の鐘」がうるさいと苦情……夕方に鐘を撞く「除夕の鐘」に変える寺院も
前の鐘の余韻に続き、次の鐘……と、お寺によって一部違いもあるものの、概ね百八つとなっている除夜の鐘ですが、どうして百八つとなっているのでしょうか。(※きっちり百八回で終了とするところもあれば、参詣者が並んでいる限り続けるところもあります)
除夜の鐘の回数については諸説あるものの、よく言われているのが「煩悩(ぼんのう)の数」というもの。(※煩悩とは、心身の平安を掻き乱す心の動き一切、特に欲望を言います)
鐘を一回撞(つ)くごとに、煩悩が一つ祓われるという考え方だそうで、その理屈でいくと筆者など一人で二百回くらい撞く必要がありそうですが、それはさておき。
煩悩が百八つあるとして、その「内訳」は具体的にどうなっているのでしょうか。
■除夜の鐘・煩悩の「内訳」

まず、人間を構成する六つの要素「六根(ろっこん)」があります。
具体的には眼(げん、視覚)・耳(に、聴覚)・鼻(び、嗅覚)・舌(ぜつ、味覚)・身(しん、肉体)・意(い、精神)を言います。
※または「六境(ろっきょう)」という人間の感じる六つの感覚(色、声、味、香、触、法)で表わすこともあります。
次に、この六根に好(こう、快感)・悪(あく、不快感)・平(へい、無感)という3パターンのテンションが加わると、18パターンに分かれます。
更に、その18パターンにそれぞれ浄(じょう、清い=仏様の御心に適う)と染(せん、汚い=仏様の御心に適わない)の2パターンがあって36パターンとなりました。
そして最後に、その36パターンそれぞれに前世・今世・来世の3パターンを乗じて108。
6(六根or六境)×3(好悪)×2(浄染)×3(前今来世)=108
これが、除夜の鐘で撞き祓われるべき煩悩のすべてとなります。
■まとめ
ここまで調べてきて「おかしいな」と思われた方も、もしかしたらいるかも知れません。
「あれ?『浄』ってダメなの?仏様の御心に適うなら、いいんじゃないの?」
筆者もそう思いましたが、よく考えたら、仏教の求めるところは解脱(げだつ)、簡単に言えば「あらゆるものからの解放」であり、その観点からすれば、善いことを願う心すら「煩悩」に過ぎないのかも知れません。

何も感じず、考えず、ただあるがままにして仏様の御心に適う存在であることこそが理想なのかも知れませんが、なかなかそこまでは悟りきれないものです。
でも、悟りきれないからこそ人間らしく、味わい深い人生なのだと、除夜の鐘を聞きながら、そんな事も考えたりします。

参詣は マナーを守って 除夜の鐘(五七五)
最近では、騒音の苦情などによって除夜の鐘を取りやめてしまうお寺もあるそうですが、この情緒ある風習が、いつまでも続いて欲しいと願っています。
除夜の鐘2019年12月30日 更新:記事内容を一部変更しました
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