今回はそんな「女人禁制(にょにんきんせい)」について、とある和尚のエピソードを紹介したいと思います。
■主人公・坦山(たんざん)和尚のプロフィール
今回の主人公は坦山和尚こと原坦山(はら たんざん、文政二1819年10月18日生~明治二十五1892年7月27日没)。
俗名は新井良作(あらい りょうさく)、15歳で江戸の昌平坂学問所に入学して儒学や医術を修め、栴檀林(後の駒澤大学)で教鞭をとりますが、思うところあって出家、坦山と改名します。
厳しい修行の末に悟りを開き、後に名刹の住職などを歴任するのですが、今回は坦山が壮年時代、仲間たちと共に諸国を周遊していた時の出来事です。
■「ハイちょっとごめんなさいよ」旅の道中、少女を助ける
昔、坦山和尚が仲間の奕堂(えきどう)と二人で旅をしていると、膝まで埋まりそうな泥濘(ぬかるみ)の狭い道に差しかかりました。
すると、その向こうから16歳くらいの少女が歩いて来ましたが、道は狭いし足元も悪いし、おまけにこちらは二人とも大柄なので、うまくすれ違うことが出来ません。
どうしたものか、と少女が困っていると、坦山和尚は「ハイちょっとごめんなさいよ」とばかり、無造作に少女を抱き上げてクルリと向きをかえ、少女を足場のよいところまで運んであげました。
こうしてお互いにすれ違うことが出来たのですが、この様子を見ていた奕堂は評判の堅物、内心で眉を顰(ひそ)めていましたが、数町(すうちょう。一町≒約109m)ばかり進んだところで、意を決して坦山和尚に苦言を呈しました。
「坦山君、ダメじゃないか。僧侶は不浄な女性に手さえふれるべきでないところを、あんな風に抱きかかえて運ぶなど、他人が知ったら何と思うだろうか。今後は慎みたまえ」
【原文】「君は甚だ浪漢(をうはん)ぢやないか、納僧家は女人などあんな不浄なものには手も觸れぬと云ふに、先刻の樣な乱暴なことをしては甚だ以て納僧家の面目にかゝはるぢやないか。いかにももっともらしい奕堂の言い分ですが、坦山和尚は呵々大笑して答えました。以後はチト謹むがよからう」
■困っているのが誰であろうと
「はっはっは!奕堂君は随分むっつりスケベだね。私がとっくに置いてきた少女を、まだ抱き続けているなんて……」
【原文】坦山からゝと笑つて曰く、ハ……君はまだ彼の少女を抱いて居るか僕はアノ時限りぢやはいと平然……(後略)そう言われた奕堂は図星を射抜かれ、すっかり恥じ入ってしまいました。
坦山和尚はあくまでも少女が困っていたから助けただけ、必要だから抱きかかえただけで、それが少年であろうが老婆であろうが、一切心を乱されていませんでした。
一方で、奕堂は目の前にいたのが「少女」であったことに心がとらわれてしまい、その人が困っているにも関わらず、救いの手を差し伸べることが出来なかったのです。
自分が僧侶であるとか、困っているのが少女であるとか以前に、誰かが困っていたら助けようと進み出ることこそ仏様の御心に適う振舞いであり、坦山和尚は自然にそれを実践したのでした。
■まとめ
そもそも、仏道に志すは何のためか。
時として女性の魅力が求道の妨げになってしまうこともありますが、老若男女・貧富貴賤にとらわれることなく、迷える衆生(しゅじょう)を分け隔てなく救うことこそ、その本懐。
「この人生において、本当に大切なことは何か」
それを決して見失うことなく、かつ教条主義にも走らず精進を重ね続けた坦山和尚の姿勢は、現代の私たちに生き方のヒントを与えてくれるでしょう。
※参考文献:秋山悟庵 編『坦山和尚全集』明治四十二1909年11月より。
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