江戸時代、庶民たちに出された町触には、様々なものがありました。その中でも特に重要なものは、高札場に高札を出して提示されていたとのこと。


風紀を正しくし財政再建するためには、倹約令が欠かせませんでした。特に、8代将軍・吉宗による「享保の改革」、松平定信による「寛政の改革」、水野忠邦による「天保の改革」では、お触れの数もかなりのものだったとか。

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■衣服や髪飾りは質素なものを

例えば、高値の品を売買してはいけないとか、衣服や髪飾りは質素なものを、と細々と書かれていました。それに対して庶民はどうしたかというと、地味な服に見せかけて裏地は派手なものにするなど、あの手この手でオシャレを楽しんでいたようです。

服装だけでなく、町人の持ち家にも注文をつけられたそう。自分が稼いだお金で待望の我が家を建てたのに、贅沢すぎる家だから改修しなさいと言われたというから、大変!しかも、〇月までと期限も決められていたとか。

■葬儀は簡素にして、目立たぬように

倹約に関する町触には、こんなものまで?というものもあります。「金持ちも葬儀は簡素にして、目立たぬように」というもので、これはさすがに罰則はなく注意のみ。葬儀まで口を出さないでくれ、と思った人も多かったことでしょう。ただし、喪主が簡素であると思ったらそれでよいので、客観的にみて簡素だったかはわかりませんが。

■様々な娯楽も質素に

芝居見物のときは、ちょっと贅沢をしたいもの。ところが、芝居に関しても、贅沢するなとお触れが出ています。
芝居小屋を簡素に、衣服は木綿、俳優の衣服も美麗なものは禁止、とまぁ次から次へとお触れが出ると、庶民もうんざりしちゃいそうですね。

同じく吉原でも、絹・紬・木綿を着用する、新吉原に建てる家はできるだけ簡素に、新吉原に駕篭や馬で通うものがあれば断る…などのお触れが出ていました。

ちなみに町触は、庶民に「三日法度」と呼ばれていました。庶民は、どうせ今だけのお触れでしょと思っていたんですね。そんなこんなで、幕府が、贅沢するなとお触れを出しても、庶民にはあまり効果がなかったようです。

参考文献:江戸のお触書

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