1月4日から2月3日にかけて、鎌倉国宝館(鶴岡八幡宮の境内)で記念特別展「源実朝とその時代」が開催されています。
■実朝公のプロフィール
『國文学名家肖像集』より、源実朝公。昭和十四1939年。
源実朝公は父・頼朝公が征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府を開かれた建久三1192年に誕生。
やがて父を亡くし、長兄・源頼家(みなもとの よりいえ)公がその暴政によって出家・引退させられたことにより、建仁三1203年に数え12歳の若さで鎌倉幕府の第三代将軍に就任します。
幼少ということもあって、始めの内は母・北条政子(ほうじょう まさこ)ら北条一族の補佐・後見を受けていましたが、成長に伴って幕政への積極性・主体性を示すようになります。
また、文化方面にも高い関心があり、京都や宋(大陸王朝)との交流によって和歌や仏教にも造詣を深めていきました。
その一方で、理想主義的な政治姿勢が現実主義の北条一族、中でも執権であった叔父の北条義時(ほうじょう よしとき)らと対立することも多く、幕府の中で権力の独占を目論み、次々と政敵を粛清していく北条一族の野望を阻めなかったことに対する苦悩も窺われます。
■「軒端の梅よ……」実朝公の死と、予言の歌
実朝公が亡くなったのは、建保七1219年1月27日。
鶴岡八幡宮に拝賀した際、石段の左脇にある「大銀杏(※)」に隠れていた公暁(くぎょう。頼家の嫡男で出家していた)によって斬殺されました。
月岡芳年「美談武者八景 鶴岡の暮雪」より、公暁に暗殺される実朝公。明治元年1868年
(※)現代でこそ巨木となっている銀杏ですが、八百年前から人が隠れられるほどの大きさだったかどうかは、いささか疑問です。
どうやら実朝を「(引退後に暗殺された)頼家の仇」と勘違いor逆恨みしていたようですが、これで源氏将軍の血筋は絶えてしまいました。享年28歳の若さでした。
ここで不思議なエピソードが一つ。
実朝公は出かける前、軒端の梅が咲いているのを見て、こんな歌を詠んだそうです。
「出でいなば 主なき宿と 成りぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」まるで「自分が今日、殺される」ことを予言するかのような歌ですが、その根底には、自分を傀儡化(スポイル)して独占を図る北条一族に対する無力感と厭世観があったように感じられます。
【意訳】「私が出ていってしまえば、この家は誰もいなくなってしまうが、それでも梅よ。春を忘れず(来年からも)咲いておくれ」
■まとめ
さて、特別展では実朝公の命日である1月27日を含む期間に、その最期の地となった鶴岡八幡宮の境内で、実朝公の肖像や篤い信仰、高い芸術性をもった遺品などが一堂に会する貴重な機会となります。
また、期間中の毎週土曜日14:00には学芸員による列品解説(申込不要、観覧料のみ)もあるため、文人将軍として知られた実朝公の遺徳を偲び、理解をより深めて頂ければと思います。
期間:平成31年1月4日(金)~2月3日(日)
場所:鎌倉国宝館(鶴岡八幡宮境内)
特別展 「源実朝とその時代」
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