木片で尻ぬぐいですと!?超びっくり!な日本のトイレの歴史【前編】
前回は平安時代までの日本のトイレ文化をご紹介しました。
■鎌倉時代
さて、平安時代までは川に流したり野外の溝に適当に捨てていた屎尿ですが、鎌倉時代も末期になると徐々に屎尿を樽や壺に貯めるようになりました。これが昭和まで続く汲み取り式トイレの始まりだと言われています。理由は鎌倉幕府が米と麦の二毛作を奨励するようになり、屎尿が肥料として重宝されるようになったのです。
そうした技術は中国では宋の時代から始まっており、日本では鎌倉時代に日宋貿易によって日本に伝来したと考えられています。
一方でトイレそのもののかたちとしては、家の中にはいまだにトイレと呼べる設備はなく、外や軒下にトイレとされる場所が設けられていたそうです。
■室町時代の禅寺
さて、室町時代に入ります。この頃からトイレという設備の普及に一役買ったのが、禅寺です。曹洞宗ではトイレの事を東司(とうす)と呼び、福井県の永平寺の東司が有名です。
また臨済宗ではトイレを雪隠(せっちん)と呼び、京都の東福寺の通称「百雪隠(ひゃくせっちん)」が有名です。ちなみにこの百雪隠は日本最古のトイレとして国の重要文化財に指定されています。
京都東福寺の東司内部(出典元)
東福寺の雪隠の内部にはたくさんの穴が等間隔にあいており、それぞれに壺が設置されていました。右側が小便用、左側が大便用と分かれており、お坊さんたちはそこに用を足したのです。
禅寺では、トイレに行くのも修行のひとつで、ひとたびトイレを使うとなると、仏典のなかの仏の教えや菩薩の徳を讃える偈文(げぶん)を唱えなければならない、入る前に衣服は脱いで、人の服と間違えないように紙に自分の記号を書くなどの厳しい作法や決め事があったようです。
修行僧はトイレに行くにも一苦労というわけなのですね。ちなみに福井県の永平寺の東司はいまだに使われているそうです。
江戸は小便が売れる時代、しかもトイレ丸見えじゃないか!超びっくりな日本のトイレの歴史【後編】
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