今回は日本の神話と歴史が記された『古事記』から、人生が儚いものとなった理由について紹介したいと思います。
※以下、神様のお名前表記は『古事記』に倣います。
■木花之佐久夜毘売との出逢い
昔々、豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに。現代の日本)を治めるべく、天照大神(あまてらすおおみかみ。日本における至高の女神)の命よって高天原(たかまがはら。天上の世界)から派遣された彼女の孫(天孫)・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)……名前が長すぎるので略して邇邇芸命(ににぎのみこと)は、笠沙(かささ)の岬という場所(現:鹿児島・宮崎県のどこか。諸説あり)で、一柱(※)の若く美しい女神に一目惚れします。
(※)神様を数える単位。人間でいう「~人」に相当。
木花之佐久夜毘売(右)に言い寄る邇邇芸命(左)。石井林響「木華開耶姫」明治三十九1906年
「あなたはどちら様ですか?」彼女の名前は神阿多都比売(かむあたつひめ)と言い、山の神様である大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘です。阿多とは薩摩国阿多郡(現:鹿児島県日置市の南部と・南さつま市の北部)とも言われ、都とは「~の」を意味しますから、彼女はかつてその辺りに住んでいたのかも知れません。
【原文】爾問「誰女」
ちなみに、よく知られている木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)とは異名で、咲き誇る花のような美しさからそう呼ばれていたのでしょう。
■まさかの初対面プロポーズ、そして二人の花嫁
さて、こうして絶世の美女・木花之佐久夜毘売と出会った邇邇芸命はと言いますと……
「結婚して下さい!」まさかの初対面プロポーズ。さすがはやんごとなき神様、なさることも桁違いです。
【原文】「吾欲目合汝奈何」
【読み下し】「吾(われ)、汝(いまし)を目合(めあ)はむと欲(ほっ)す。奈何(いかん)」
まぁ実際は「私はそなたを妻に迎えたいと思うておるが、そなたはどうじゃ?」くらいのニュアンスだと思いますが、その返答はと言いますと、
「あの、お父様よりお答えいただきませんと……」まぁ急ぐ話でもなし、ましてや結婚とあらば「お父様」に筋を通すのが道理……という訳でさっそく「娘さんを私の妻に迎えたい」とご挨拶に伺ったところ、天照大神の孫神様とあらば、これはもう「玉の輿」どころの騒ぎではありません。
【原文】「僕不得白、僕父大山津見神將白」
【読み下し】「僕(やつがれ)白(まを・申)し得ず、僕が父・大山津見神まさ(将)に白さむとす」
大山津見神は謹んで快諾し、大急ぎで婚礼の支度。家来に銘じて娘「たち」を邇邇芸命の元へ送り届けさせましたが、届いた花嫁の駕籠(かご)が二丁あるのを見て、邇邇芸命は首をかしげます。
「はて?私が妻に頂いたのは娘一人の筈だが……」
そういえば、木花之佐久夜毘売には石長比売(いわながひめ)という姉がいると聞いていたので「もしかして姉妹ともども下されたのか。それは誠にありがたい……」と駕籠から出て来た姉妹を出迎えた邇邇芸命はびっくり仰天。

石長比売の花嫁姿(イメージ)。
それもその筈、石長比売は妹に似ても似つかぬ醜女(しこめ)だったのです。
■かくて命は花のように
(うへぇ……)
まさか絶世の美女を娶るには「醜い姉がセット」だったなんて……邇邇芸命は参ってしまいました……が、そこは己が欲望に「YES!」と言える神様、おとなしく運命を受け入れるようなタマじゃありません。
「いやぁ、お義父様……あのぅ、せっかくの『お気持ち』ではありますが……モニョモニョ……」
とか何とか言ったかどうだか、いずれにしても石長比売はその場でご実家へリリースさせて頂き、木花之佐久夜毘売のみ妻として迎え入れたのでした。
……しかし、仮に石長比売がおとなしく帰ったとしても、木花之佐久夜毘売の胸中はちょっと複雑だったのではないでしょうか。
もし筆者が同じ立場なら「私の美しさは認められた!わーい♪」という気持ちよりは「姉がかわいそう……と言うか、彼は容姿だけで他者を判断する神様なんだ……ふぅん……」という思いが渦巻いてしまいそうです。
まぁ何はともあれ、邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結ばれたのですが……一方、リリースされてしまった石長比売から事の次第を聞いた大山津見神は、たいそう恥じ入り、残念がって言いました。
「あぁ……なんと勿体ないことをなされたか。私が石長比売を嫁がせたのは、石の如く永き命を奉げんがため。木花之佐久夜毘売とだけ結ばれたことで、いっときは咲き誇れども、やがて儚く散ってしまう運命を選ばれたのだ……」
石長比売は石を司る女神であり、古来その堅さから不変不朽(変わらず、朽ちぬもの)の象徴とされ、邇邇芸命と結ばれることで、彼に永遠の命を奉げようとしたのでした。

これにより、邇邇芸命やその子孫である神々や人間たちは、その命が花のように短く儚いものとなってしまった、と言われています。
■炎の中で三つ子を出産!木花之佐久夜毘売の立てた「誓約」
……さて、そんな事などお構いなしに、新婚初夜の明くる朝。
邇邇芸命が目を覚ますと、その枕元には木花之佐久夜毘売が、まんまるくなったお腹を抱え、幸せそうに微笑んでいました。

「あなた……お腹の子、もうすぐ産まれそう。あなたの子よ?産んでいいでしょ?ねっ?」そう聞いて、邇邇芸命は完全に目が覚めました。
【原文】「妾妊身、今臨產時。是天神之御子、私不可產。故、請」
「……謀ったなっ!」
いくら神様だからって、一晩で子供が出来た上に、そこまで大きくなるわけがありません。
「そなた、既に国津神(くにつかみ)の子を孕んでおきながら、私をたばかったな!」
※国津神とは邇邇芸命のような天津神(あまつかみ。天上出身の神様)と異なり、地上出身の神様を言います。
しかし、木花之佐久夜毘売は断固として譲りません。
「いーえ!絶・対にあなたの子です!あなたがお疑いなら、これからそれを晴らしてご覧に入れましょう!」
そう言って木花之佐久夜毘売は、召使いに自分の産屋(うぶや)を建てさせました。産屋とは出産専用の「離れ」で、昔は女性の生理や出産を「血のケガレ」として遠ざける風習があったのです。
それだけなら普通ですが、この産屋には戸も窓もなく、木花之佐久夜毘売を閉じ込める形で完成しました。
「いったい何をする気なんだ!?」
尋常ならざる様子に動揺する邇邇芸命に、木花之佐久夜毘売は誓約(うけい)をします。誓約とは天地神明に対して誓いを立てることで、古代の神々は時として、自分の言葉に命さえ賭けたのでした。
「これから産屋に火を放たせますが、もし私の宿している子の父が国津神であれば、私はこの愛されぬ子と共に焼け死ぬでしょう。しかし、私の宿している子の父があなたであれば、何があろうと無事に産まれる筈……さぁ、火を放ちなさい!」

かくして産屋に火が放たれましたが、結局、木花之佐久夜毘売は無事に三つ子を出産。
もちろん誓約を受けた以上は、邇邇芸命もこの三つ子を自分の子供として認め、みんな仲良く暮らすのですが、その後の話は、又の機会に。
※出典:『古事記』上巻 六 より。
■終わりに
とまぁこんな具合に、儚いなりにも人生色々とあって、今日もどこかで生まれたり死んだりを繰り返しながら、みんな悲喜こもごも、暮らしを営んでいます。
永遠の命も悪くないかも知れませんが、限りある命なら命で、そのつもりで少しでも充実させるよう努めることが、より有意義な人生につながるのでは、と思います。
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