今日は知っているようで、実はあまり知られていない踏絵をご紹介します。
■お正月後の恒例行事だった絵踏み
キリシタンをあぶり出すために行われたのが絵踏みであることは、多くの人がご存知ですよね。イエス・キリストや聖母マリアが彫られた銅板を踏む例のアレです。絵踏みが始められたのは寛永5年(1628)頃。長崎奉行の水野守信が始めたと言われています。
寛文年間(1661~1673)には年中行事化され、毎年1回、お正月後に行われていました。長崎奉行所の役人が踏絵を持って各家を回り、踏ませました。
以前、少しだけ絵踏みの紹介をさせていただきました。
集団処刑、熱湯漬け拷問…そして島原の乱、勃発。日本におけるキリシタン弾圧の歴史
こちらで紹介したように、とりあえず踏絵を踏んで表向きは仏教徒を装い、内心ではキリスト教を信じる「潜伏キリシタン」が増えたため、次第に絵踏みの効果は無くなっていきました。
■外国とのお付き合いのために絵踏みを廃止
ペリー率いる黒船の来航により日本は開国。鎖国を止めて、諸外国との外交が始まりました。
ここでネックになったのが日本のキリスト教の禁教。ヨーロッパの多くはキリスト教国です。これから付き合っていく国が信仰している宗教を「邪宗だ!禁教だ!」というスタンスでは、外交が上手くいきませんよね。そこで幕府は安政3年(1856)3月9日、開港していた長崎と下田で絵踏みを廃止しました。
しかしキリシタンの弾圧はここで終わりませんでした。明治に入っても弾圧は続き、長崎の浦上村のキリシタン全員が日本各地に配流され、厳しい弾圧を受けました。こちらも以前紹介させていただきました。
キリスト教の禁教が解かれたのは明治6年(1873)のことでした。
■3種類あった踏絵
ここまで絵踏みとその歴史を紹介しましたが、実は踏絵には3種類あることをご存知ですか?

最初に登場したのが紙踏絵。イエス・キリストと十字架が描かれていて、右には「切支丹伴天連ヲ踏マザル者獄門事」の一文が・・・。
「踏絵を踏まないと首を刎ねるぞ」という意味です。
初期の踏絵は紙でしたが、これは耐久性の問題で廃止になりました。

続いて登場したのが板踏絵。こちらは実際にキリシタンが使用していた十字架や写真のようなメダイを板にはめた物です。「実際に使用していた」というところが、信者には辛い…。踏めない人もきっといたのではないでしょうか。

そして最後に登場したのが真鍮踏絵。こちらは日本人鋳物師が作成した物で、長崎では20枚が製造されました。現在は19枚が現存しており、その一部を東京国立博物館で見ることができます(不定期展示)。
教科書ではさらりと習う絵踏み。紙から板に変わり、最後は真鍮。幕府も試行錯誤しながらキリシタンの取締りを行っていたことがわかりますね。
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