前回は南蛮屏風に見えるカルサンやロザリオなどの、ポルトガルから伝来したファッションをご紹介しました。

京都で流行ったポルトガルファッション!「南蛮屏風」から南蛮文化を覗いてみよう

しかしキリスト教の禁教により、日本はポルトガルとの交易を断然します。
それでは、京都で流行った南蛮文化は消えてしまったのでしょうか?実は消えるどころか日本に深く根付いていきました。そしてそれは現代の私達の周りにたくさん溢れています。

■ファッション編

襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化...の画像はこちら >>


ポルトガル人が履いていたカルサンを日本人が真似して履いたことは前回紹介しましたが、実はこれだけではありません。

襦袢
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


下着として着物の下に着用する襦袢。実はポルトガル語の「gibao」(ジバン)が転じたものです。

伝来時は袖のない胴着のような物だったといいます。戦国時代にヨーロッパへ渡った天正遣欧使節が、帰途の際にインドで宣教師から贈られたという記録が残っています。

現在多く見られるのは長襦袢で、着物を着たことがある人は着用したことがあるはず。長襦袢は、半襦袢が裾除けと合体したことで生まれました。一枚でさらっと着られた方が楽ですよね。日本古来の伝統的な和服だと思いがちですが、ポルトガルからもたらされた物でした。

合羽
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


所謂、レインコート。
ポルトガル語の「cape」(カッパ)から転じました。(というか、そのまま…)

写真右側にいる男性2人が着用している黒いコートがカッパです。彼らは宣教師。当時来日した宣教師の多くはこのような黒いコートを着ていました。防水性に優れていたため、江戸時代に雨の日用のコートとして開発され、現在の雨合羽になりました。

■スイーツ編

金平糖
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


甘くて美味しい金平糖。見た目も可愛いですよね。金平糖はポルトガル語の「confeito」(コンフェイト)から転じました。

ポルトガル人によってもたらされた南蛮菓子のひとつで、宣教師ルイス・フロイスは織田信長にガラス瓶に入れた金平糖を献上しました。ガラス瓶に入った色とりどりの金平糖に、信長も頬を緩ませたのではないでしょうか。

カステラ
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


お馴染みのカステラもポルトガル語です(私の大好物…!)。

カステラはカスティーリャ王国のお菓子だったため、カスティーリャをポルトガル語にした「castela」から転じました。
金平糖と並ぶ南蛮菓子のひとつで、宣教師によって平戸に伝えられました。

当時のカステラは小麦粉・卵・砂糖を均等に配分していたため、今よりも固く、甘味も少なかったそう。日本独自の製法に変化し、砂糖と卵をたっぷり使うようになったことで、現在のような甘くてしっとりとしたカステラになりました。日本人に生まれてよかった…!

■ホビー編

カルタ
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


『遊楽人物図貼付屏風』菱川師宣 百人一首などで広く親しまれているカルタ。遊んだことがある人も多いのではないでしょうか?

カルタはカードを意味するポルトガル語「carta」(カルタ)が転じたものです。もとはポルトガル船員が遊んでいたトランプでした。

煙草
襦袢、かるた、金平糖も実はポルトガル語!身の回りには南蛮文化が溢れていた


『敵討乗合噺 四代目松本幸四郎の肴屋五郎兵衛』東洲斎写楽 煙草もポルトガル語の「tabaco」(タバコ)が転じた物。

日本への伝来は鉄砲伝来時とも言われていますが、諸説あります。しかし慶長年間に外国人宣教師が平戸藩主に献上した記録が残されているため、少なくとも江戸時代前期には日本に伝来していました。

時代劇では武士や岡っ引き、遊女が煙管を咥えている姿が印象的ですよね。

交易が断然されても、日本に深く根付いた南蛮文化。紹介できませんでしたが、ビスケットやパン、カボチャなどもポルトガル語です。
何気なく日本語として使っている単語が実はポルトガル語だったなんて、なんだか不思議な気分ですね。

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