賄賂を受け取らない人でしょうか?不正を徹底的に追及する人でしょうか?あるいは税金のムダを減らしてくれる人でしょうか?
まさか「地元や所属組織に利権を引っ張り込んでくれる人」とか「世渡りが巧く、選挙に勝てる人」ではないと思いますが……まぁ、価値観は人それぞれでしょう。
今回は、とある政治家のエピソードを紹介したいと思いますが、それが必ずしも「よい」「正しい」とはあえて言いません。
彼らの熱い生き方や潔い振舞いから、皆さんに何かを感じ取ってもらえたらと思います。
■「三国干渉」と「臥薪嘗胆」
……時は明治二十八1895年、アヘン戦争で敗れたとは言え、なお「眠れる獅子」と恐れられたアジアの巨大帝国・清(しん)との戦い(日清戦争)に勝利した日本は、多大な犠牲と戦費の賠償として、清国から遼東半島を割譲してもらいました。
遼東半島と周辺地図(イメージ)、Wikipediaより。
ここを押さえられれば、李氏朝鮮の独立&近代化を支援しやすい上に、李氏朝鮮を支配下に置き続けたい清国に対する牽制も可能です。
しかし、日本の大陸進出が気に入らないロシア・フランス・ドイツの3か国が「極東アジアの平和が脅かされる」として日本に圧力をかけ、遼東半島を清国に返還させます(三国干渉)。
それだけでも悔しいのに、今度はロシアが「ちょっと半永久的に借りておくだけだぞ」と遼東半島を清国から強引に租借(そしゃく:土地をリースする名目で実質的に植民地化)してしまいます。
要するに「本当は自分のものにしたかったから、大義名分(きれいごと)をたてに言いがかりをつけた」のですが、そんな露骨な嫌がらせを受けても、日清戦争で疲れ切っていた日本には、それに報復する(そもそもそんな事をさせない)だけの力がなかったのです。
当時(19世紀末)は弱肉強食の帝国主義が世界中に蔓延しており、力がないまま下手に戦争を起こせば、たちまち滅ぼされてしまうのが国際常識でした。

奴隷貿易。19世紀の版画。
かと言って、大国のご機嫌とりばかりしていれば、アジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国のような搾取と弾圧の未来が待つばかり。
死にたくはないし、奴隷にもなりたくない……それなら力を蓄えて国の平和と独立を守るよりありません。話し合いをしようにも、力無き者の理想論など、誰も聞いてはくれないのですから。
かくして日本国民は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん※)」をスローガンに、コツコツと国力を蓄えていくのですが、海軍では「六六艦隊計画(ろくろくかんたいけいかく)」が進められることになるのでした。
(※)がしんしょうたん:「薪(たきぎ)に臥(ふ)し、胆(きも)を嘗(な)める」と読み、自らを痛めつけることで悔しさを忘れず、ついに志を遂げたエピソードから、ここでは「いつか必ずロシアに勝つ!」という日本国民の合言葉となりました。
■「おいとおはんで、腹ァ切り申(も)そ」
さて、海軍が進めていた六六艦隊計画とは、ごくざっくり説明すると「明治二十九1896年から同三十八1905年までの10年間で、戦艦6隻+装甲巡洋艦6隻+サポート艦艇多数を揃える計画」で、計画の目玉となる戦艦と装甲巡洋艦が6隻ずつなのでそう呼ばれたのでした。
艦艇の建造は国内だけでなくイギリスなどにも発注しており、総力挙げての調達となったのですが、ここで想定外のトラブルが起こりました。
なんとコストが高騰したことで戦艦の建造に充てる予算がなくなり、工事が暗礁に乗り上げてしまったのです。
海軍の予算自体はまだ残っているものの、その使途は項目ごとにきちんと決められており、勝手に使い回すわけにはいきません。
かと言って、国会の会期を待って予算の修正をかけ合っていたら、来たるべき決戦に後れをとってしまいます(当然ながら、戦艦ができるまでロシアが待ってくれるとは思えません)。
「あぁ、ばったいいかん(どうにもならぬ)。こん難局にこん有様……おいはどげんしたらよかか……」

海軍大臣・山本権兵衛(晩年の写真)Wikipediaより。
頭を抱えているのは海軍大臣の山本権兵衛(やまもと ごんのひょうえorごんべえ)。
権兵衛は海軍大臣の就任に際して「ロシア海軍に勝利する」ことをほぼ唯一の目標と定め、ロシアが強敵と承知の上で「たとえ日本の軍艦の半数を犠牲にしてでも、ロシアの軍艦を全滅させる」覚悟を公言していた山本にとって、建造の後れは死んでも詫びきれないほどの大失態。
机を叩き割るほど悩み抜いても妙案が浮かばず、さすが歴戦の権兵衛も、すっかり憔悴しきってしまいました。
「……おや、山本(やまもっ)どん。どげんした?」

海軍元帥・西郷従道。Wikipediaより。
そこへ現れたのは海軍の先輩である西郷従道(さいごう じゅうどうorつぐみち)。かの「西郷どん」こと亡き西郷隆盛の弟で、この頃は日本最初の海軍元帥(げんすい。軍人の名誉職および称号)となっていました。
「あぁ、西郷(せご)さぁ……実はかくかくのしかじかにごわして……」
従道は権兵衛の苦悩をすっかり聞いてやると、静かに短く言いました。
「……よか。おいとおはんで、腹ァ切り申(も)そ」
■「たとえ命に代えてでも、日本のため、未来のために」
従道の発言に、動揺を隠せず権兵衛が訊ねます。
「……そいはおいに『死んで詫びよ』ちゅうこっでしょうか……じゃっどん、ないごて(しかし、なぜ)西郷さぁまで……」
軍艦建造に後れをとった責任なら、権兵衛一人が始末をつければよい話ですが……従道の真意は、別のところにありました。
「軍艦建造(ふねぇつくっ)予算の無かなら、有っとこから流用(まわ)せばよか」
つまり「海軍の予算を使途外流用せよ」と言っているのですが、それが出来たら苦労しません。

芳景「大日本帝国議会之図」明治二十四1891年
「そげんこつして、もし国会で追及され申(も)したら……」
「腹ァ切ればよか。そいで軍艦が出来っなら、安かもんじゃ」
「西郷さぁ……!」
寸毫の迷いもない従道の眼を見て、権兵衛は海軍大臣の本分と、自らの使命を思い出したのでした。
「そもそも、自分が海軍大臣に就任したのは何のためか?」
少しでも長くその地位に安住し、高い報酬を得て贅沢な暮らしを続けたいのか?……否!それとも万事つつがなく任期をまっとうし、安穏な老後を迎えたいのか?……否!
日本の未来を切り拓くため、ロシアに勝つこと。ロシアに勝てる強い海軍をつくること。そのために必要な、よい軍艦を建造(つく)ること。
この腹一つでそれが叶い、日本が守れるなら、罪を恐れる必要などない。堂々と成すべきことを成し遂げたなら、後に続く仲間たちを信じて、潔く死のう。
「西郷さぁ。おいは眼が覚め申した……建造(つく)り申そ。おいの命に代えてでも、日本のため、未来のために、よか軍艦を」
「おぅ、そん意気じゃ!」
……かくして権兵衛は決死の覚悟で予算を流用、建造した内の一隻こそ、『坂の上の雲』でも有名な戦艦・三笠(みかさ)。

記念艦として保全されている三笠。神奈川県横須賀市・三笠公園にて。
「皇國ノ興廃、此ノ一戰ニ在リ(意:日本の運命はこの戦いで決まる)……」
三笠は連合艦隊の旗艦として対馬沖海戦(日本海海戦。明治三十八1905年5月26日~27日)でロシア海軍・バルチック艦隊を撃破、日露戦争の勝利に大きく貢献したのでした。
屈辱の「三国干渉」から十年越しの勝利でしたが、幸い権兵衛らが追及されることはなく、開戦前に亡くなった従道も、草葉の陰から喜んだことでしょう。
その後も権兵衛は首相になるなど活躍しますが、そのエピソードはまた改めて紹介したいと思います。
■終わりに
言うまでもなく「正しからず」と書くぐらいですから、不正は悪いことです。
その前提に立っても、天下公益に供すると信じたならば、罪を覚悟し、命に代えてでも成し遂げるのが、政治家の真骨頂と言えます。(※もちろん、時間や状況が許すのであればルール自体をより適切に改正するのが原則です)
近ごろの政治家は「世論が……」「人気≒選挙が……」とばかりに保身を図って事なかれ主義に傾き、そのくせ私利私欲にとらわれ、つまらない不祥事に追われる小物ばかり。

「お前はそんな事のために政治を志したのか!?」
命に代えてでも成し遂げたい事業があり、それをこの世における自らの使命と信じて身命を擲(なげう)つのが政治家のあるべき姿というもの。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり」※参考:西郷南洲遺訓
【意訳】命も要らない、名誉も肩書もカネも要らない……そんなヤツほど扱いに困るものはない……が、そういうヤツでないと、国家の大業は成し遂げられんのじゃ。
※山田済斎 編『西郷南洲遺訓』より。
世界平和を願った「西郷どん」その(現代の政治家に足りない?)政治思想が凝縮された「西郷南洲遺訓」とは
人間の価値は「生き方の集大成=死に方で決まる」と言っても過言ではなく、政治家はその地位や身分を「何と引き換えに擲ったか」で価値が決まります。
ルールは守るべきですが、それよりもっと大切なものを守る局面において、覚悟を失わない生き方を心がけたいものです。
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