新元号「令和(れいわ)」の出典として俄然注目を浴びるようになった『万葉集(まんようしゅう)』。

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『万葉集』より、「令和」の典拠(左の枠部分)。


首相の会見でも言及されていたように、万葉集は日本最古の歌集として、身分の上下や立場にとらわれることなく収録され、自由闊達に詠まれた多彩な表現が魅力となっています。

今回は、その中でも日本の国境防衛に当たった防人(さきもり)たちが詠んだ防人歌(さきもりのうた)について紹介したいと思います。

■愛しい者を故郷に残し……

ここで歴史のおさらいですが、防人とは百済(くだら。朝鮮半島の古代王朝)を助けるために出兵した白村江の戦い(はくすきのえ・天智天皇二663年10月)で敗れた日本が、百済を滅ぼした唐(中国大陸の古代王朝)と新羅(しらぎ。百済のライバル王朝)が日本に攻めて来ること想定して、国境地域(主に九州北部)の守りを固めるために召集した兵士です。

愛しい人々との別離…防人たちの思いが詠まれた「万葉集」防人歌を紹介


玄界灘の守りを固める(イメージ)

ちなみに「さきもり」という読み方は古来沿岸部を警備していた「岬守(みさきもり)」に唐の制度であった「防人(ぼうじん)」の漢字を当てたものと考えられています。

さて、防人は各地から集められたのですが、任期は3年間と長くしばしば延長され、しかも食料や装備、行き帰りの交通費などは自腹、しかも税の減免はなし、と非常に負担の大きなものでした。

一度発てば、もう二度と帰れないかも知れない……そんな厳しい状況下にあって、防人たちはそれぞれの思いを詠んだのでした。

今回は、特に多くの防人歌が収録されている『万葉集』巻第二十より、おすすめの三首を紹介したいと思います。

■この出陣の晴れ姿。見せたい母は……

難波津に 装(よそ)い装いて 今日の日や
出でて罷(まか)らん 見る母なしに

愛しい人々との別離…防人たちの思いが詠まれた「万葉集」防人歌を紹介


装い装いて、迎えたこの日(イメージ)

【原文】
奈尓波都尓 余曾比余曾比弖 気布能比夜
伊田弖麻可良武 美流波々奈之尓
(なにはつに よそひよそひて けふのひや
いでてまからむ みるははなしに)

【意訳】
いよいよ今日、この難波津より完全武装で出航します。この晴れ姿を、故郷の母に見せたかったなぁ。


これは相模国鎌倉郡(現:神奈川県鎌倉市&逗子市~横浜市南西部の一帯)の丸子連多麻呂(まろこのむらじ たまろ)が詠んだ歌です。

相模国からはるばる難波津(現:大阪府)までやってきて、瀬戸内海経由で任地の九州まで向かうのでしょう。

「装い装いて」とは繰り返しによって強調を表わしますが、やっとの思いで武器や鎧を揃えたのかも知れません。

そしていよいよ船に乗り、故郷の母と海を隔てることになる……そんな緊張感も、合わせて伝わってくるようです。

■妻があまりに恋しくて……

我が妻は いたく恋いらし 飲む水に
影(かご)さえ見えて よに忘られず

愛しい人々との別離…防人たちの思いが詠まれた「万葉集」防人歌を紹介


水面に映る、君の面影(イメージ)

【原文】
和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓
加其佐倍美曳弖 余尓和須良受
(わがつまは いたくこひらし のむみずに
かごさへみえて よにわすられず)

【意訳】
離れ離れとなった妻があまりに恋しく、水を飲む時に映る自分の顔さえ妻に見えてしまう。どうして忘れることなどできようか。

これは麁玉郡(あらたまのこおり。現:静岡県浜松市)の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)という者が詠んだ歌です。

もう妻が大好きすぎて、夢どころか水を飲むたびに映る自分の顔さえ妻に見えてしまう。早く未練を振り切らねば辛いだけなのに、どうしても忘れることなど出来ない……そんな痛切なやるせなさが、ひしひしと伝わって来ます。

■昔と変わらぬ、父母の愛情

父母(ちちはは)が 頭(かしら)掻き撫で 「幸(さ)くあれ」て
言いし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる

愛しい人々との別離…防人たちの思いが詠まれた「万葉集」防人歌を紹介


いくつになっても、お前はうちの子。どこに行っても、何していても。


【原文】
知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖
伊比之気等婆是 和須礼加祢豆流

【意訳】
お父さん、お母さんが、子供の頃みたいに頭をわしゃわしゃしながら「元気でな。きっと無事で帰って来いよ」と言ってくれたことが、忘れられないのです。

これは丈部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)の詠んだ歌ですが、不覚にも泣きそうになってしまいます。

きっと、お父さんもお母さんも、泣きながら笑っていたのでしょう。

どんなに大きくなったって、どこまで遠くへ行ったって、どこで何をしていたって、お前はうちの子だよ。お父さんもお母さんも、ずっとずっと、お前の幸せを願っているよ。

手柄なんか立てなくていい。無一文だって構やしない。だから……どうか、どうか無事に帰って来ておくれ。

それだけが、私たちの望みだから。

■終わりに

かくして出征して行った多麻呂、身麻呂、稲麻呂が、その後どうなったのかは判りません。

かつて国を守るために多くの防人が故郷を遠く離れて厳しい任務に当たり、残された者は彼らの無事を願い、その帰りを待ちわびたことでしょう。


『万葉集』には他の防人歌もたくさん収録されていますので、どうか彼らの思いに触れて頂けましたら幸いです。

※参考文献:佐竹昭広ら校注『万葉集 四』岩波書店、2003年10月30日 第一刷

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