マグロの赤身をシャリと海苔で巻いたお寿司ですが、鉄も火も関係なさそうなのに、なんで「鉄火巻き」と言うのでしょうか。
諸説ありますが、今回はその一部を紹介したいと思います。
■見た目そのまま、真っ赤に燃えた「鉄火」だから
鉄火巻きの具(ネタ)はマグロの赤身のみが基本で、細長く切られた形状が鍛冶場で熱した鉄(鉄火)のようだから、という説が多いようです。
マグロの赤身は新鮮な内はその名の通り鮮やかな赤色ですが、やがて古くなると鉄が冷めていくように赤黒くなっていき、最後は黒ずんでしまう様子もそっくりです。
■博打のお供に?「鉄火場」で好まれた食べ物だから
博打が行われる賭場を「鉄火場」と言い、勝負に際して片手で食べられる手軽さが好まれたため、そう名付けられたとも言われています。この点はトランプ勝負をしながら片手で食事ができるよう考案されたサンドイッチと共通しています。

鉄火には熱した鉄そのものの意味に加えて、燃え盛る時に散る火花の意味もあり、勝負の激しさや博徒(ヤクザ)の気性の荒さを表わすため、彼らの集まる場所を鉄火場と呼んだそうです。
■食べられたのは明治以降?
本山荻舟『飲食事典』によれば、鉄火巻が食べられるようになったのは明治時代の中葉以降(西暦1890年ごろ~)と言われます。
ネーミングも商標のように登場と同時に考案されたものではなく、誰かが考えついて食べていたものを、これまた誰かが「その海苔巻き、まるで鉄火みたいだな」などと思って呼ぶようになり、いつしか「これなら勝負をしながら腹が満たせて便利だな」と普及していったのでしょう。
■発祥の地は品川宿?
一説には、鉄火巻きは東海道(江戸から見て)最初の宿場町である品川宿(現:東京都品川区)が発祥とも言われていますが、今のところ確たる根拠は見つかっていないようです。

歌川広重 『東海道五十三次』より、品川宿(品川 日乃出)、天保年間
もしかしたら、江戸城下に比べて博打に対する取り締まりが緩めで、旅に出た解放感から「景気づけ」や「運試し」に……と、勝負に興じた者が多かったのかも知れませんね。
■まとめ

色鮮やかな海鮮海苔巻き
最近はバリエーション豊かな海苔巻きがたくさん出ていますが、やっぱり定番のかっぱ巻き、かんぴょう巻き、そして鉄火巻きは不動の人気。
昔から変わらないシンプルな味わいを、これからも楽しみたいものです。
※参考文献:本山荻舟『飲食事典』平凡社、昭和三十三1958年12月
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