大内に眼鏡を献上した人物はあのフランシスコ・ザビエルです。キリスト教の布教以外にもいろいろ功績を残しているんですね。
フランシスコ・ザビエルについてはこちらの記事も併せてお読みください。
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また、ルイス・フロイスの『日本史』という記録には、1574年、織田信長に会いに行ったフランシスコ・カブラルたちが眼鏡をかけている様子を見て、それを見た人々が「外国人には目が4つあり、うち2つは鏡のように輝いていて恐るべきもの」といって驚いていたことが記されています。
一方、室町幕府12代将軍・足利義晴(1511-1550)が所持していたという眼鏡が残っており、一部には、これが現存する日本最古の眼鏡ではないかという説もあります。
当時の眼鏡がどのようなもので、どのくらいの質感だったのか、残念ながらこれらの現物は残っておらず検証することはできませんが、あの徳川家康も愛用していたと伝わってている眼鏡が現在静岡県・久能山東照宮に納められており、1968年、不忍池近くにはその眼鏡をかたどった石碑が東京の眼鏡業界の組合によって建立されました。
眼鏡が日本に伝わると、次第に国内でも清算されるようになり、江戸時代中頃の江戸や大阪では、眼鏡を販売する店がもでるようになりました。なお、このときの眼鏡は現在のように耳にかけるものではなく、手に持って使用する形だったそうです。
今日私たちがかけているような耳にかけるタイプのものは、18世紀初頭に登場したものですが、その際の最大の問題は、フィット感でした。このフィット感がなかなか難しく、顔からしょっちゅうすべり落ちるか、定位置に保たれるものの不快感を伴うかのどちらかだったのです。
このフィット感を良くするために、金属製の輪をテンプルの末端に取り付けて使われるようになりました。この「テンプル眼鏡」ともいわれるタイプの利点は耳にかけたメガネが定位置に保たれるようになったことです。これによって適度なフィット感が保たれ、また眼鏡がずりおちることもなくなりました。
少なくとも16世紀の日本には入っていた眼鏡。今では‶萌え″要素のひとつにもなっていますが、その技術発展の歴史はなかなか奥深いものがあるようです。
参考:『眼鏡の社会史』 白山晰也
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