デヴィ夫人は、「ネットで流れた情報を引用してブログを作成しただけなのに、どうして責任を負わなければならないのか」と憤慨。控訴の手続をとったようですが、事実関係が裁判所の認定した通りであれば、法律的にデヴィ夫人に勝ち目があるとは言いにくいでしょう。
誰かの社会的評価をおとしめると名誉棄損に法律上、名誉棄損による慰謝料請求を認める根拠となっているのは、民法709条の不法行為責任です。条文には「故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定されています。人の社会的評価も、ここでいう「法律上保護される利益」に含まれるので、故意または過失によって誰かの社会的評価をおとしめたときには、名誉棄損として損害賠償責任を負わなければなりません。
この事件で、原告女性は「自分がたまたま加害少年の父親とされる男性と一緒に映っていた写真を、デヴィ夫人のブログで引用され『とんでもないのが母親』『この親にしてこの子あり』などと書かれた」というのです。
デヴィ夫人の不満は、おそらく「ネット上でいろんな人が同じような書き込みをしているのに、どうして自分だけが賠償義務を負うのか?」ということでしょう。「すでに他人によって名誉を棄損されている状態にあったのだから、自分がブログに書いたところで、さらに名誉が棄損されることはないのでは?」というのが、最も言いたいことなのだと思います。
影響力の小さい無名の市民も、損害賠償請求をされる可能性も私たちも、ネット上に流れている情報をうのみにして、何かの事件で加害者とされた人に対して批判的な書き込みをすることがあるかもしれません。後で、その情報が「誤りだった」とわかったとき、書き込みをしたことが名誉棄損として損害賠償を請求される恐れはないのでしょうか。結論としては、あり得ます。
ただ、私たち無名の市民の場合は、その書き込みによる影響力も小さいので、被害者の名誉を棄損する度合いが相対的に低い傾向にあります。そのために、実際に慰謝料請求を受ける可能性が少ないというだけで、法律的には請求を受けて賠償責任を認められる可能性は当然あると認識しておく必要があります。
ネット情報の裏を取らずに転用して発信するのは軽率な行為裁判でも、デヴィ夫人のブログのアクセス数が、この投稿後に1日200万~780万件に急増したことが、原告女性の社会的評価を著しく低下させたと認定しており、著名人のブログであったことが、賠償額を決める大きな要素となっていることがわかります。
判決では、デヴィ夫人の「過失」について「ネット上の情報を十分吟味せずに発信し、非常に軽率な行為」と認定していますが、私たちもネットの情報の裏を取らずに転用して発信すれば、同じような非難を受けることは十分にあり得ます。インターネットは、マスコミが独占していた社会に対する情報発信を、私たち個人にも可能にしてくれた媒体です。しかし、社会に対して情報を発信するときには、その行為について「責任を伴う」という自覚も必要です。