10月から始まるNHK連続テレビ小説『まんぷく』。そのモデルは、即席ラーメンの生みの親・安藤百福さん夫婦。
安藤百福は1910年生まれ。両親を幼少期に亡くし、祖父母に育てられる。義務教育終了後の14歳からは、祖父が経営する繊維問屋の仕事を手伝い、商売をイチから学ぶ。22歳のときに独立し、日本から繊維製品を仕入れて台湾で販売する事業を立ち上げると、大成功。活動の場を日本に移し、大阪市でメリヤス問屋を始めて、事業を拡大していく。
1941年、太平洋戦争が始まる。百福は軍需工場の資材を横流ししているとあらぬ嫌疑をかけられ、憲兵から拷問を受けたこともあった。しかし、悪いことばかりは続かない。1945年、35歳のときには、神主を務める名家出身の仁子さんに一目ぼれをして、結婚する。
兵庫県に疎開していた百福夫妻は、終戦後の1946年、大阪に戻る。
このころには関西で実業家として名をはせていた百福に、危機が訪れる。仕事がない若者を雇い、彼らに「奨学金」として現金を手渡していたことが脱税だとGHQに目をつけられ、逮捕されてしまったのだ。百福は巣鴨プリズンに収監。処分取り消しの裁判を起こそうと立ち上がるものの、GHQから圧力がかかる。大阪に残してきた家族を思い、苦渋の決断で裁判をやめ、釈放された。
釈放後の百福は、知人に頼まれ、大阪に新設された信用組合の理事長を務める。しかし、その信用組合が破綻。それまで築いた財産をすべて失ってしまった。
47歳で一文無しとなった百福だが、かねてより構想を練っていた即席めんの開発を始める。
1958年、試作品ができあがり、家族総出で梱包し、あちこちに配り歩いた。
56歳のときに行った欧米視察で、百福は衝撃を受ける。アメリカ人が「チキンラーメン」をマグカップに割り入れ、湯を入れ、フォークで食べていたのだ。食文化の違いに感動した体験をもとに、百福は即席カップめんの開発を手掛ける。そして1971年、百福61歳のときに世界初の即席カップめん「カップヌードル」が発売され、さらなる市場を開拓していった――。
いつも好奇心旺盛で、不屈の精神を持って、常に新しいことにチャレンジしてきた百福さん。2007年に生涯現役のまま、波瀾万丈な96年間の人生を終えた。