三浦春馬さん(享年30)と中学生のころから交流があった「茨城元気計画」代表の卯都木睦さん(53)は、初主演映画『キャッチ ア ウェーブ』で、彼にサーフィンを指導した人物だ。

「母親が運転する車で僕のところにやってきたのが、まだ中学3年生だった春馬です。

『撮影が始まるまでの3カ月で、一人前のサーファーになりたい』と言ってね。『本気か?』と聞いたら、『本気です』と……。僕も、ほかにも俳優を少し知っているけど、こんなコは初めてでした。

特訓後も、プライベートでの付き合いが続きました。10年前ぐらいに『俳優を辞めたい』と、言っていたこともあったけど、一時期の迷いだったみたいで、その後はそんなことは言わなくなったしね」

卯都木さんとの交流を15年も続けていたように、東京に移り、スター俳優となってからも、故郷・茨城で出会った人々は、三浦さんを応援し続けた。そして彼の故郷への思いも薄れてはいなかった。彼は週刊誌の記事で、ある人物との思い出を明かしている。

《村木さんといって、現場にいつも付いてきてくださった講師兼俳優の方です。今の僕のサインを一緒に考えてくれた方で、僕が十四歳で児童劇団を離れた後、長年、連絡を取っていなかったんですね。その人がもう助からない末期がんだと》(『週刊文春』’18年12月13日号)

三浦さんが所属していた児童劇団『つくばアクターズスタジオ』の会長を務めていた加藤麻由美さんによれば、“村木さん”は、俳優・村木勲さんのことだという。

「子供たちからの信頼が厚いベテランでした。本人は春馬に『心配をかけたくない』と言っていたようですが、私たちが村木さんの容体のことを知らせると、恩師のために駆けつけてくれたのです。

『先生にもっと生きてほしい』という気持ちもあったからだと思います……。春馬は村木さんの病室での言葉を、ずっと糧にしてくれたそうですが、教師冥利につきますよね」

前出の記事で、三浦さんはこう続けていた。

《(病室で)最後に言ってくれた『絶対に焦るんじゃないぞ』という言葉を、これから先も思い出しながら、ずっと自分の糧にしていくんだろうなと思います。忘れられません、その言葉が》

なぜ三浦さんは、これほどまでに人を愛し続けたのだろうか。彼と親交のあった同年代の俳優は、こう語る。

「彼はよく知人のことを、『兄のように思っている』とか『弟のような存在』と表現していました。僕も同じような境遇だったからなんとなくわかるのですが、一人っ子で、親御さんも仕事で忙しかったそうですから、小さいころは寂しい思いもしたのではないでしょうか。だからとりわけ人のぬくもりを求めていたのではないかと……。

一生懸命に人の悩みも聞いていましたが、いっぽうで自分の弱みはあまり見せないところがありました。人の気持ちばかり抱え込んでしまって、つらくなってしまうこともあったかもしれません」

「女性自身」2020年8月11日号 掲載

編集部おすすめ