「ショックで体が震えました。報道を見て知ったんですが“嘘だ、絶対に信じられない”と……」
今年7月に三浦春馬さん(享年30)の訃報を聞いたときの悲痛をそう語った、映画監督の田中光敏氏(62)。
「この作品に取り組む彼は、本当に前向きでしたから。真摯に役に向き合って、勉強して、努力してくれて。撮影所に入ってきたときも、ものすごく明るくて。やる気満々、という様子でした」
春馬さんが演じたのは、幕末から明治初期を駆け抜けた傑物・五代友厚。撮影は、昨年10月から11月にかけて行われた。
「春馬くんにとっては、時代劇で主演をやるのも、殺陣をやるのも初めて。殺陣は本当に一生懸命してくれて。実はクランクインが当初の予定から1年ずれたのですが、その間も練習してくれたり、薩摩の武士であればどういう殺陣をすべきなのかというような、歴史の勉強までしてくれていたんです」
五代友厚は薩摩藩士から明治政府の役人を経て実業家となった人物。五代についても熱心に資料を読み込んでいる様子だったという。
「五代友厚に関する本は『幕末を呑み込んだ男』や織田作之助さんの『五代友厚』なんかがあるんですが、そういったものを“全部読んだ”と言っていました。“春馬くん、僕よりも本読んでるんじゃないの?”と言うくらいでしたね」
春馬さんが、いかに深く役に向き合っていたか。
「ハンカチで口元を押さえるシーンがあるんです。彼からの提案でそれを“藍染めのハンカチにしたい”と。五代友厚が藍染めを広めていくことに尽力された方だということを彼は知っていたんですね。
それで“五代友厚にかかわる人たちが藍染めをやっているから、それを使えるように考えてくれないか”と。春馬くん自身が映画の準備をしているなかで知り合った方のようなのですが、藍染めの作家と撮影準備の合間に連絡を取りながらハンカチのデザインを決めて、僕に提案してくれたんですよ。“監督、どれがいいですか?”と。本当に一生懸命な男なんです」
撮影は、京都の松竹撮影所で行われた。ここはいわば“時代劇の本場”。その道の熟練スタッフが顔をそろえており、東京から時代劇に慣れない役者が行くと、シビアに迎えられることも少なくない。
「松竹撮影所のスタッフたちは、最初、現代劇を多くやってきた春馬くんを“本当に時代劇の主演ができるんだろうか”という目で見ているんですよ。でも初日から数日間で“ああ、すごい”と。
春馬さんは、田中監督に“将来の展望”も語っていたという。
「“最近は海外に行く日本の役者さんも増えているけれど春馬くんはどうなの? 日本映画界だけ、日本のなかだけでやろうとしているの?”と僕が聞いたときに、“いや僕は海外に行きたい。役者として世界に出たいんです。英語も勉強しているし、中国語もだいぶ勉強したんです”というようなことは言っていました。
“そのためには日本の文化をしっかり勉強したい”とも。“武士道に通じる精神や考え方があるんじゃないかと思って”と、儒学を勉強しているとも言っていましたね。“だから監督、この映画もどこか海外上映とか、そういうのも考えてもらえませんかね”と、笑っていたのを思い出します」
「女性自身」2020年12月15日号 掲載