「コロナ禍ではオンラインでご公務をされたりと新しい取り組みをしていらっしゃる。幅広い興味をお持ちですし、ご自身がやりたいことをなさっていただきたいです」
雅子さま(57)の現状に、そうエールを送るのはご学友の清家ルリ子さん(56・旧姓村岡)。
「家が近所だったので、学校の行き帰りもずっと一緒でした」
そう話す清家さんは小学3年から高校1年まで田園調布雙葉学園で雅子さまと同級生。さらに、中学時代は同じソフトボール部のチームメイトで苦楽を共にした仲。
「ソフトボール部は私たちの代からなんです。雅子さまを含めたメンバーでつくろうと盛り上がり、中学2年生時に立ち上げました。3年のときには世田谷区大会で優勝しています。まぐれですけどね」
創部わずか1年で優勝という快挙には、こんな裏話が……。
「最後に残ったほかの2校はどちらも優勝候補で体格もよく、やじもすごかったんです。私たちはカトリックの学校で女子だけで育ってきているので、そういうのは全然、わかりませんでした。
そこで初めてやじを学び、負けずにやじを飛ばして。そうしたら、相手チームもカッとして、逆にエラーをしたりして勝てたみたいなものです。
雅子さまがやじとは、いまとなっては驚きだ。その後、雅子さまのご留学などで頻繁に会えなくなってからも交流は途絶えず、清家さんの結婚式では雅子さまが介添え役をされた。
「22歳くらいのときです。介添え役の雅子さまと私の歩く速度が速くて、司会の方に『もっと、ゆっくり歩いてください!』と注意されて、みんなに笑われながら2人で歩いたのもいい思い出ですね」
取材中、時折、雅子さまを“オワ”(旧姓が小和田のため)と呼ぶ清家さん。懐かしさのあまり当時の呼び名が出てしまうようだ。
親交の深さがうかがえるがそんな清家さんでも、雅子さまが29歳で皇室に嫁がれて以降はお会いできたのは数度。同窓会といった機会だという。印象深いのは、’09年2月に帝国ホテルで開かれたソフトボール部の“先生方を囲む会”。
「顧問の先生が定年で辞めることになり、元部員が集まったんです。30人以上が出席し、雅子さまもいらしてくださいました。すでに雅子さまのご病気が報じられていましたのでご体調に触ってはいけないと、深く話はできない雰囲気でした。それに雅子さまもお気軽には皇室のことをお話しになれないでしょう。
それでも会話から愛子さまへの愛情を感じる瞬間があったという。
「昔からずっとショートヘアでスポーティにしていらして、長い髪をしていたのはあまり見たことがなかったのですが、このときはロングヘアにされていました。それで私が『どうして、伸ばされたんですか?』と伺ったんです。そうしたら雅子さまが『娘に“私も髪を伸ばすから、お母さんも一緒に伸ばそうよ”と言われて、それで2人で伸ばすことに』って。私は子供がいないので、子供ってやっぱり本当にかわいいものなのだなと感慨深く思いましたね」
’09年当時といえば、愛子さまは7歳。雅子さまと愛子さま、母娘のほほえましい日常が垣間見える。
清家さんはその後も一度、同窓会でお会いしたというが、「皇后さまになられる前にもう一度お会いしたかった」と寂しそうに話す。
「“皇后さまになられたら、きっと会えなくなるだろうから”と友達みんなで同窓会を2?3回ほど企画したんですけれど、ご多忙だったのかご体調のためなのか、雅子さまはいらっしゃることができず、企画は流れてしまいました。こちらはただお会いしたいだけでも、雅子さまが人とお会いになるためには、多くの人が動くことになるでしょうから、今後もやはり難しいでしょうかね……」
最後に、皇后陛下としての雅子さまへの思いをこう語る。
「大変なお立場でしょうし、何をやっても事前に相当勉強される方ですが、ゆっくりとしたペースで進まれてほしいと願っています」
「女性自身」2020年12月29日号 掲載