「漣さんは撮影後に『これからいろいろなことが起こると思うけど、絶対いつか素敵な港に着くよ』と言ってくれました。

撮影開始したのが’14年5月ですからね。

約7年を経て、日の目を見た形です。『漣さん、やっと港に着きましたよ』と伝えたいです」

名優・大杉漣さん(享年66)との思い出を語るのは、映画監督の坪川拓史さん(49)だ。

大杉さんが急逝したのは’18年2月21日だった。あれから3年。2月24日には「第63回ブルーリボン賞」で主演男優賞に輝いた草なぎ剛(46)が「漣さんから頂いた要素を膨らませていろんな役ができている」と感謝の言葉を語ったことからも、改めて偉大さに注目が集まっていた。

そんな大杉さんの“遺作”が現在、公開されている。坪川さんが監督を手掛けた映画『モルエラニの霧の中』だ。

同作は7話で構成されているオムニバス映画。大杉さんは、第2話・春の章「名残りの花」を中心に出演。この映画以降は出演作品が公表されていないことから、大杉さんの“最後の映画”と言われている。坪川さんが続ける。

「『モルエラニ』とは、アイヌの言葉で“小さな坂道を下りたところ”という意味。

北海道・室蘭の語源のひとつともいわれています。

実際、この映画は全編室蘭市で撮影しています。大杉さんはバイプレーヤーとして大忙しでしたが、それでも合間を縫って3日間のロケに参加してくれたんです」

漣さんについて「気遣いの人でした」と振り返った坪川さん。こんな撮影秘話も語ってくれた。

■「おお、生き返ったか!」とうれしそうに……

「タイトなスケジュールだったこともあり、撮影現場はとても混乱していました。それでも漣さんは『監督がやろうとしていることは全部やるから。何でも言ってね』と声をかけてくれて。その言葉が本当にありがたかったです。

漣さんは、誰にでも分け隔てなく気さくに接してくれる方でした。現場近くにある喫茶店のママが漣さんのファンで、サインをお願いしたそうです。そしたら『もちろん!』と快諾。お店には画用紙しかなかったのですが、漣さんは嫌な顔一つせずサインしたそうです。

しかも翌朝になると漣さんは『書き直したよ!』と言って、再びそのお店に出向いたんです。色紙を自分で買って、改めてサインもしていたと聞きました」

同作で初タッグを組んだ大杉さんと坪川さん。以降、大杉さんが亡くなるまで交流は続いた。

大杉さんが亡くなった後、息子で写真家の大杉隼平さん(38)は坪川さんにこう明かしたという。

「亡くなる少し前に一緒にごはんを食べたときも室蘭の話をしてくれました。だから、本当に撮影が楽しかったんだと思いますよ」

室蘭での撮影を思い続けていた大杉さん。実は、坪川さんは“ある約束”を交わしていたという。

「漣さんは作中、生死をさまよう役柄を演じていました。しかし室蘭を離れるときに『おそらく死んでしまう役だろうね。でも、また室蘭に来たい。だから生き返らせてよ』と言ってきたんです。僕は『じゃあ生き返らせます』と約束して。

それでエピローグの章を書き足すことになりました。

脚本ができてから漣さんに『生き返らせました』とメールしたら、『おお、生き返ったか!』とうれしそうで。それが亡くなる半年くらい前のことでした。漣さん側はスケジュール調整もしてくれていたのですが、『2日続けて室蘭に滞在するのは難しいかも』と悩んでいて。そんなやり取りをしている間に亡くなってしまったんです。訃報を知って愕然としました」

■夢の中に現れた漣さんは脚本を読んでいた

同作は、大杉さんが亡くなった8カ月後となる’18年10月に撮影終了。大杉さんが完成を見届けることはかなわなかった。

「7年かけてやっと公開されるというときに、漣さんの奥さんからメールが来ました。そこにはお祝いの言葉とともに、『多くの方に見ていただけるように願っております』と書かれていて。漣さんと同じような優しい気遣いが感じられて、温かい気持ちになりました」

今年の初夢には、大杉さんが現れたという。坪川さんは最後に、こう明かしてくれた。

「夢の中で、漣さんは作品の追加撮影をしていました。

新しく付け加えられたシナリオをずっと真剣に読んでくれていてね……。

僕がいったん現場を離れることになったのですが、慌てて戻ると漣さんはまだ脚本を読んでいるんです。僕に気づくと、漣さんは『坪川くん、ここのここはさ……』と質問してくれて。漣さんは、永遠に役者なのかもしれません。

僕もいつか漣さんのもとに行くと思います。そのときは、幻となったエピローグを撮影したい。そして天国で、完成版の上映会を漣さんと一緒にやりたいですね」

7年の月日を経て公開された“最後の映画”。大杉さんも天国で喜んでいることだろう。

「女性自身」2021年3月16日号 掲載

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