住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、子どものころに読んだ本の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「友達の家に遊びに行くと、たいていどこの家庭にも、絵本作家のいわさきちひろさんが描いた女の子の表紙が印象的な『窓ぎわのトットちゃん』(’81年3月発売)があったものです。黒柳徹子さんの自伝で、幼いころに過ごしたトモエ学園でのリトミックなど、当時では珍しい教育法が、昭和のお母さん方の“子育てのヒント”にもなったはず」
こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。それほど教育現場には閉塞感が漂っており、子育てに迷う母親も多かった’80年代。
「’70年代のベビーブームで学校に子どもがあふれ、教師の目が一人ひとりにまで行き届かないため、どうしても“集団行動”とならざるをえず、“みんなと同じ”が“いい子”とされる時代でした」
こうして学校教育からはみ出てしまうツッパリや不良などが巻き起こす校内暴力も、社会問題化。
「『3年B組金八先生』の第2シリーズ(’80年~’81年・TBS系)では、不良少年・加藤優が学校で暴行事件を起こした第5~第6回の『腐ったミカンの方程式』が話題に。学校教育に対する子どもたちの悲鳴にも似た不満の声も、同時にあがりました」
■“トットちゃん”が描いた時代と真逆の教育
一方“受験戦争”という言葉が再燃したのもこのころ。多くのライバルと競い、いかに要領よく細かな知識を暗記するかという、詰込み型の教育が主流だった。
「そのような教育現場に疑問を感じていた母親たちにとって、“トットちゃん”で描かれる、個性を重視し、自然と共生するトモエ学園の教育は魅力的でした。管理型の教育でなかったからこそ、『ザ・ベストテン』の司会者として“空気を読まず”に活躍する黒柳徹子さんのような大人に成長できたのではないかーー。いつも通信簿に“落ち着きや協調性がない”と書かれていた子どものお母さんにとっては、励みともなったはず。この本は、それまでの学校教育が見直され始めるきっかけの一つとなったといえるでしょう」
その証拠に、当時“管理教育”と盛んといわれた愛知県では、教育関係者からの反対があり、学校の図書館に『窓ぎわのトットちゃん』が置かれなかったことが『おかしい』とニュースにもなった。
「現在は“みんなと同じでは、いつかAIに置き換えられる”と考えられ、一人ひとりの個性や自己主張を伸ばす教育の重要性が説かれるようになりました。