両親の離婚、夫の病気などのため、一身で家族を支え続けた村田十詩美さん(としみ・81)。中学を辞めて酒屋に奉公しなくてはならず、物陰から見る同級生の通学景に悔し涙を流したことがあった。

父に、花街の仕事を紹介されかけたこともあった。

結婚後も大黒柱として四人の子供を育て上げ、手にした夜間学校での憧れの中学生活。大阪府にある「守口市立さつき学園夜間学級」に3年間迷いに迷って入学を決め、9年間通い続けたのだ。70代にして、人生で初めての英語にパソコン、そして、同級生とのおしゃべりと、幸福な時間を過ごしたという。

そして、働きづめで夢など考えなかった村田さんは、高校に通うという夢を実現したのだ。周りは10代ばかりだが、81歳にしてチョー元気。村田さんは、「オバチャンなんていわせへんで!」と笑った。

■孫のような生徒の恋愛相談に乗ることも

夜間中学は、義務教育を受ける年齢を超えた人に小・中学校の教育を保障する学校だ。50年代半ばには全国で89校、5千208人が在籍した。その後は減少傾向にあるものの、現在も10都道府県で34校、約千700人が学んでいる。

夜間中学は「社会を映す鏡」でもある。戦後の混乱期に始まった夜間中学は当初、経済的理由で働かねばならず、学校に通えなかった人たちのための学校だったが、70年代に入ると、差別や貧困で通学できなかった在日韓国・朝鮮人の入学者が増加。

日中国交正常化に伴う中国からの帰国者も多数、通った。

90年代に入ると、仕事などで来日した外国人の入学者が急増。現在は約8割が外国籍の生徒で占められ、最近では、時代を反映して、いじめなどで不登校になった生徒や、ヤングケアラーとなり学べなかった人たちが入学するケースも増えている。

村田さんが入学した当初の中学校の校舎は、建て替え前の木造だった。

「ギシギシと音がする渡り廊下で、望遠鏡で夜空を眺めている社会の先生がいたんです。授業を終えた私たちが通りかかると、『見てみるか』と言ってくれて。私ものぞかせてもらいました。

お月さま、お星さまがきれいに輝いてて、手を伸ばせば取れるかと思うほどで。ほら、私、休みなく働きづめで、星が出る時刻なんて、もう疲れきっていて。星空なんか見上げたこともなかったやろ」

村田さんはうれしそうに目を細めた。

「ああ、お月さまやお星さまがきれい。私はようやっと、こんな夜空を眺める生活ができてるんやなぁって思ってねぇ。

『お月さん、明日もよろしくな』ってねぇ」

少し遠い目になった。

「学生証も持ちました。生まれて初めて学割で定期も買えるし、映画も見られる。同級生と『お茶行こか』って。ランチルームからハンバーガー屋を、『お茶でハシゴやな』のときもありましたね」

勉強も楽しかった。

「授業では、英語もパソコンもやります。どちらも人生で初めて学ぶことでした。得意なのは数学。ずっと商売で、お金の計算やってたからやろか(笑)」

大変だったのは、やはり漢字。

「書き取りが大変で。読めても、なかなか書けない。いまだに難しいのは『劇』という字やね(笑)。

何よりうれしかったのは、担任をはじめ先生たちが、とにかく優しかったこと。わかるまで、手取り足取りで教えてくれはる。だから、私もどんどん質問できました」

授業の合間の20分の休憩時間に、ランチルームで友達とおしゃべりするのが、また、楽しい。

「学ぶということは、一つ一つ、ものごとがわかっていくこと。入学前はチンプンカンプンだった新聞も、辞書とにらめっこしながら、まぁまぁ読めるようになった。そんなとき、少しだけ前進したなと感じるんです。それが楽しい」

昼間の生徒との交流会もあった。

「交流会で、孫やひ孫のような若い人から『夢はなんですか』と聞かれて『えっ、夢?』って思ってね。それこそ働きづめで、夢なんてこと、考えませんでしたから。夜間中学に来て初めて夢について考えて。80歳近くなって、夢もないやろと思いながらも考えてみたら、高校に行きたい。できれば大学も行ってみたい。

自分はどこまで行けるんやろ、と。そんな希望が芽生えましたねぇ……」

村田さんは納得いくまで夜間中学に通い、昨年3月、卒業した。

「本当に幸福な時間で、楽しくて、気がついたら9年間、通ってた。皆勤賞といきたかったけど、4年前にインフルエンザで1週間休んだのが、1回きりの欠席でした」

卒業式には、着物を着て、髪を結って出席した。

4月からは大阪府立寝屋川高等学校の定時制に進学。夢を実現したのだ。

「中学と違うのは、とにかく周りが若い人ばかり。10代のなか、80代は私ひとりです。ただ、入学してすぐ、後ろの席の男子と仲よしになってね。『オバチャンいうたら、どつくで!』という最初の会話で打ち解けた。ツカミはオッケーいうやつやね(笑)」

コロナ禍の緊急事態宣言で、登校できたのは6月からだったが、高校生活も充実しているようだ。

「いちばん困るのが、中学と違って、授業によって教室が変わること。

移動時間も5分くらい。場所もようわからん。遅刻やぁって困っていたら、仲よしの男のコが『村田さん、こっちやで』と、連れていってくれるようになりました」

孫のような生徒たちの恋愛相談に乗ることもある。クラスの女子とハンバーグを食べに行くのも楽しみだ。村田さんの世界が、またひとつ、広がった。

■高校卒業後は編み物の機械編みに挑戦したい。人生は何歳からだって夢を持って輝ける!

村田さんには登校前、必ず寄る場所がある。自宅近くのたこ焼き店「かどや」だ。店頭のベンチに座って、6個100円のたこ焼き2皿と缶コーヒーで、腹ごしらえをして登校する。それが夜間中学のときから続くルーティンだ。

「学校はどないですか?」

と、店主に聞かれた村田さん。

「高校のコたちはみんな、多感なころだし、先生に盾突くコもおる。

そんなときは私が『静かにしいや』と。そんな役目もあるかな」

店主夫妻とたっぷりおしゃべりを楽しんでから、駅に向かう。高校は学割の定期での電車通学だ。

授業は午後6時5分から9時20分まで。夕飯は帰宅後だ。だから、登校前のたこ焼きは外せない。教科書が入った重いリュックを背負って、軽い足どりで京阪電車に乗り込むと、さっそく赤いカバーの電子辞書を開いた。

夜間中学に入学してから10年、肌身離さず持ち歩いている電子辞書。使い込みすぎて、表の赤い塗料のところどころが剥がれている。

「これがないと困るんよ」

と、いとおしそうになでていた。

「母が買ってくれたんです。私が夜間中学に行くことに、いろんな思いもあったやろけど、何も言わん。それが、入学が決まって、突然、黙ってこれを渡してくれたん」

その母は、生き生きと通学する村田さんを見届けて、6年前、94歳で他界した。

「ほんま母には感謝しかないです」

子ども4人に、孫は10人。

「ひ孫は5人まではわかっとるけど、たぶん、増えとる(笑)。たまに家族が集まると、見たことのない子がいてな。もういちいち覚えられませんわ(笑)。今の夢ですか? 高校へ行って大学進学は大変とわかりましたから、卒業後は編み物の機械編みにチャレンジしたい。30代で講師の資格まで取ったけど、勉強し直して、仕事を探したいですね」

そんな話をしているうちに、高校に到着。正門で、たまたま一緒になった同級生に、村田さんは声をかけた。

「一緒に写真、撮るかね?」

15歳と17歳。ピンクの髪と茶髪の、いまどきの若者だ。

「えっ、僕たちもいいんですか? お願いします」

と、村田さんを真ん中に、腕を組んでポーズをとった。

「村田さんはまじめな80代。熱心に勉強する姿は目標になります」

そつなく答える同級生。村田さんは思わず苦笑する。

「お世辞は言わんでええよ(笑)」
「あと、村田さんは、あの年にしてフレンドリー」
「そしてチョー元気。体育の持久走、僕らと一緒に走ってますもん。ビックリっすよ」

村田さんは大爆笑だ。

「もう、それくらいにしときや。ほな、行ってきます!」

そう言い残すと、3人仲よく、校内へと入って行った。81歳。村田さんはいま、青春まっただなかだ。

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