ゲームをしたり、歌ったりしている子供たちに、見守りながら声をかける女性たちの笑い声が響く。

とってもにぎやかなこの場所は、福岡県久留米市にある、ひとり親家庭を主とした子育て世帯を支援する一般社団法人「umau.(以下、ウマウ)」の活動拠点。

“実家よりも実家”をコンセプトに「じじっか」と名づけられている。

なるほど、子供もママも、玄関の扉を開けるときの挨拶は決まって「ただいま」だ。居心地がいいからか、走り回る子、寝転がってゲームをする子、おしゃべりに興じるママたちと皆、自由気ままに過ごしている。本当は赤の他人同士のはずなのに、その姿はまるで、実家に集結した大家族だ。

あまりのにぎやかさに、記者が圧倒されていると、隣にいた別の女性スタッフが笑みを浮かべ、こう教えてくれた。

「今日は子供少ないし、まだ静かなほう。いつもは30世帯ぐらい集まるけん、この何倍もうるさい。もうね、ここの日常はカオス(笑)」

ウマウの代表を務める佐藤有里子さん(54)も、やっぱり、ひとり親だ。佐藤さんはコアメンバーからは「ゆりネエ」と呼ばれて親しまれ、およそ20年間、自分と同じような、ひとり親とその子供たちの支援に携わってきた。お母さんたちに仕事を仲介する派遣会社を起業し、子供の無料学習塾を運営するNPOも立ち上げた。佐藤さんは、こう振り返る。

「よくね、『佐藤さんだけん、できたんよ』と言われたんですけど。

決してそんなことない。私だって結婚に失敗し、時給750円のパートで働いてた。その、普通の私がやってのけたことですから、誰でもやれると思って。それで、まずは私がやることによって、背中を見てもらうじゃないけど、ほかのお母さんたちも立ち上がってくれたらな、そう思っていたんです」

気づけば、その思いに賛同した多くのお母さんたちが、彼女の周りに集っていた。佐藤さんはさらに、こう続ける。

「私もかつては、支えられる側でした。だから、よくわかるんです。ひとり親は支援されるばっかりで、日々の生活に追われ他人を助ける余裕なんて、なかなか持てない。でもね、いつも一方通行で支えられ続けるのって心がしんどくなるんです。それに、本当は皆、自分も誰かを助けたいとも思ってるんです。誰かから必要とされることで、自分も元気になれるんです」

■死にたかった気持ちもつらかった記憶も、「じじっか」で生かされている

じじっかの特徴は、当事者であるひとり親が協力し合って、皆の「困った」を解決していくことだ。

「最近、来てはるお母さんもね、心身ともボロボロで。

次の検査で数値が改善していなければ彼女は入院、子供は施設入りって宣告されてて。それが、毎週じじっかでご飯食べて皆と話すうちにみるみる元気になって、検査結果も驚くほど改善して。『もう仕事も始められそう』って。それどころか『今度は自分が悩みを聞いてあげる側になりたい』って言うのよね」

佐藤さんはこともなげに話すが、樋口さんによれば、その40代半ばの女性は、キレた夫にブロック塀に顔を押しつけられ、前歯が全部折れてなくなるという壮絶な過去を持つ。口癖は「私はもう詰んどる」。じじっかに来ていなければ、明日にも自死しかねない、そんな状況だったという。

いっぽう、じじっかメンバーにも、こんな人が。

「私も子供たちも救ってもらったから。今度は私たちが誰かを救いたいって、そう思ってます」

こう話すのは、じじっかでスタッフとして働く山崎久美子さん(41)。19歳で結婚。自営業でこわもての職人だった夫・真嗣さん、それに4人の子供たちと幸せな家庭を築いていた。ところが、17年4月のこと。

「現場から『旦那さんが転落事故で意識不明です』という電話が入ったんです。でも私、まったく信じられなくて。だって、ほんの2時間前、夫と電話で話したから。『夕飯、なんにする?』って。だから、悪い冗談はやめて、っていったんは電話を切ったんですけど」

その日から8日間、真嗣さんは意識不明のまま、ついには帰らぬ人に。山崎さんは突如として16歳、8歳、4歳、2歳、4人の子を抱えるシングルマザーになった。

「でも全然、実感がわかない。葬儀が終わっても、四十九日を過ぎても『ただいま』って普通に帰ってくるような気がして。私がそうだから、子供たちも。『パパは?』『いつ帰ってくるの?』って子供から聞かれるのが本当につらかった」

それでも、日中は気丈に振る舞った。しかし夜、子供たちが寝つきひとりになると、自然と涙があふれてくる。毎日「死にたい」と思い詰めるようになっていた。

「この先、どうしていったらいいかもわからなくて。もう、完全にうつ状態でした。それを助けてくれたのが、由恵でした」

ウマウの広報・樋口由恵さん(42)は、本業で真嗣さんの仕事仲間だった。

「私自身は彼女と親しかったわけじゃないんです。夫が公私をきっちり分ける人だったので私、彼が亡くなるまで由恵と会ったことなかった。それなのに彼女、必ず毎晩、電話をくれて。話すのは本当にたわいもない世間話。それを1時間も2時間も」

当時樋口さんは、彼女への電話を「嫌がらせしてただけ」と、うそぶく。

「話した内容? くだらない私の愚痴とかかな。『今日、1日中、ズボンのチャック全開で過ごしちゃったよ』とか(笑)」

山崎さんはいつしか、そんな樋口さんからの電話が「待ち遠しくなっていた」という。

「子供以外、誰とも話すことがない日も多くて。どんどん気持ちが落ちていってしまうなか、由恵との電話のときだけ、つらさを忘れることができたんです」

そして19年、山崎さんは佐藤さんからこう言って口説かれたという。

「スタートしたばかりのウマウでは、ひとり親の支援活動で、いろんなタイプの人の相談に乗ることになる。未婚、離婚、夫のDVから避難した人……。私たちの仲間には、それぞれ経験者がいるけれど、死別した人ってなかなかいない。だから、久美子の経験が役立つときが必ず来ると思う、やってみない?」

山崎さんは真っすぐに佐藤さんを見つめ返して言った。「私でよければ、手伝わせてください」。真嗣さんが他界して2年、山崎さんは力強く前を向いた。

佐藤さんの予想したとおり、山崎さんはいま、大勢のお母さんたちから頼りにされる存在に。そして、週末の「親子食堂」じじっかごはんには、いつも家族で参加している。

「じつは21歳になった長女の玲奈が去年、未婚で女の子を産みまして。いまでは子供4人プラス孫1人を連れて来ています」

新米のひとり親・玲奈さんも、主に子供たちのお世話をする係として、すでにじじっかの戦力になっている。

「私たち、ほんと、ここが実家と思ってるんです。子供たち皆、ここが大好きで『次はいつ、じじっかに帰るの?』って聞いてきます。

この先、誰かの役に立てるなら、私や玲奈はもちろん、下の子たちもずっと、じじっかとつながっていてほしい、そう思ってます」

■かけがえのない新しい家族と共に佐藤さんの夢は続いていく。「次は、農業法人も!」

「夢ですか? そうね、やっぱりお母さんたちの収入をもう少し上げていきたいの。それでいま、6次化まで視野に入れた農業法人を立ち上げたんです。これから本格的に始動するところです」

佐藤さんはこう言って目を輝かせた。ちなみに農業法人は、ウマウなど既存の団体とはまた別の組織だ。

ひとり親家庭のため、走り続ける佐藤さんだが、プライベートでの夢はないのだろうか。たとえば再婚とか?

「ないない(苦笑)。だってここに、新しい家族がたくさんいるから」

そう言って笑うと、佐藤さんは目の前にいた4歳の女の子に話しかけた。

「あ、そうだ、今度、皆でスイカ、食べに行こうか?」

佐藤さんの言葉に、その場にいたお母さん、全員の笑顔がはじける。

「いいね、ゆりネエ、それいい!」

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