「3年前、天文学、数学、地球物理学の分野に対するクラフォード賞をいただいていますから、もうノーベル賞はもらえないとあきらめていました」
そう語ったのは、ノーベル物理学賞の受賞が決まった米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さん(90)夫人・信子さん(80)。ノーベル財団から電話があったのは、10月5日の早朝5時7分だった、と信子さんは振り返る。
「電話はスウェーデンの紳士からで『あなたのお友達じゃない?』って主人に受話器を渡したら、1分間ぐらい何も答えなくなって。『どうしたの?』って聞いたら、『これから大事な話だから、あんたが聞いてくれ』と……」
受賞の“吉報”は淑郎さんではなく信子夫人が聞いた、と笑う。
「もうそうしたら、NHKから大使館から押しかけてきて、ウチのリビングに入ってきちゃって……」
’58年に渡米し、米国立気象局の研究員となった淑郎さんは二酸化炭素が倍増すると気温が2度上昇することを世界で初めて発表。地球温暖化について警鐘を鳴らした。この60年間にわたる“地球の気候と地球温暖化の予測に関する物理モデルへの貢献”が認められ、今回の受賞となったのだ。この日のうちに米プリンストン大で行われた記者会見で淑郎さんは信子さんへの感謝を口にした。
「子供たちの面倒をよく見てくれ、研究に100%集中できた。感謝以外の何物でもない」
■受賞の晩餐は孫が作ったラザニアで
その晩、夫婦水入らずでお祝いの晩餐をしたと信子さんは言う。
「長女はイタリアの方と結婚して、孫はとても料理が上手。だから主人の大好きな、粉からパスタマシンで作ったミートソースのラザニアを持ってきてくれて。プロセッコというイタリアのシャンペンを開けて、2人で乾杯しました。いくら子供が大きくなっても、2人だけで過ごす時間って大事なんですよ」
真鍋さんは仕事の内容も信子さんには何でも話すという。
’58年、東大大学院を修了した真鍋さんは、彼の論文を読んだ米国立気象局からスカウトを受け、渡米。それから3年後、真鍋さんはお見合いのため、一時帰国をした。当時、お見合いの名所として有名だった東京・渋谷駅前の西村フルーツパーラーで初対面を果たす。
「最初は“ただでロードショーが見られる”という気持ちだったんですが、(結婚相手に決めた)私の勘は間違っていませんでした。東京へ行ったとき、再訪したこともありました。主人はどこへ行ってもお見合いのときと同じクリームソーダを飲むんです。『変わったねえ』とか言いながら(笑)」
大学を中退し、淑郎さんと結婚を決め渡米。言葉の壁も立ちはだかったが、つらかったのは好きなものが食べられないこと。
「主人の好物はうな丼なんですね。でもいいレストランがなかったから、朝、港に着く船を待って買ってきて、私、自分でウナギを裂きました。タレも作りました。
■真鍋家は「褒めること」と「ありがとう」がとても好き
おいしかった飲食店のレシピをすぐさま家で再現。和洋中日替わりで出てくる食卓に、淑郎さんは“自分は果報者”だと感謝する。娘さん2人に恵まれた真鍋夫妻。
「うちは褒めるのと『ありがとう』と言うのがとても好きなんです。あまりにも軽くありがとうって言うから、主人は『もうそれ聞き飽きた』って(笑)」
その優しさが逆に娘2人には大いにプレッシャーだったようで、
「勉強でよく『間違えてもいいんだよ』と言っていたら、娘たちは『もう間違えられない!』とすごく嫌だったと大きくなってから言っていました」
茶道・表千家流の免状も持っている信子さん。12年前からプリンストンで、小学生から高校生の日本人に茶道の素晴らしさを教えている。
「私は一度やり始めたら極めないと嫌なタイプで、表千家流の講師の資格まで取りました。日本で教育を受けてきた子供たちが親の都合でポンとアメリカに放り込まれたら、誰でも不安定になりますよ。生徒さんも英語の勉強が大変だから、そういうときに日本語でしゃべってあげると安心するみたいです。親にも言えないことってたくさんあるんですよ。同年代の友達とワイワイしながらお茶をしているのを見ていると、自分の生きがいにもなるなと思って務めています」
“若者に光を”という考え方は淑郎さんも同じだと信子さんは言う。
「主人が文部科学省の方とお話ししてて、彼の科学的観点から日本の教育はちょっと今ひとつだなと思うことを辛口で言っていました。その人の得手不得手を心得て、上手に立ち回らないと。人生1回しかないんだからというのも主人のフィロソフィ(哲学)ですけど。(自分も)アメリカ的になったのかな……」
と信子さんが感慨深げに話していると、淑郎さんが自宅のリモート取材現場に登場!
90歳になった今も、水泳やヨガを毎日こなしている自らの健康法についてこう話してくれた。
■「絶対に運転はやめなさい!と妻に命令されました」(淑郎さん)
「結局、私の成功の秘訣は運動をして健康を保つ。それがトップ・プライオリティです。体を鍛えてやっていなければね。マグロと一緒。それを心がけてます。彼女がいなかったらね、生きておれませんよ」
今回のノーベル賞は夫婦二人三脚で取られた賞ですね、と尋ねると、こんな答えがーー。
「僕の運転は危険なんです。物思いにふけると信号を見なくなる。
笑いながら部屋から出ていった淑郎さんの姿を、信子夫人はしっかり目で追っていた。
「楽しく2人で過ごさないとつまらないですよ。人生は1回しかないんですから!」
結婚60年。真鍋夫妻の愛情“温暖化”は、ぜひ見習いたい!