住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、支えになった音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

「車のオーディオにCDを10枚ほど読み込んでいるのですが、暗い曲調のアルバムを2~3枚続けて聴いた後に、大瀧詠一さんの曲を聴くと、一気に心が解放されて、明るい気持ちになるんです」

こう語るのは、女優のとよた真帆さん(54)。音楽が大好きで、青春時代を過ごした’80年代、欠かさず見ていた番組も『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)だった。

「東京の信濃町に住んでいた’80年ごろ、『ザ・ベストテン』を見ていたら、『シャネルズの曲は、信濃町のソニースタジオから中継します』と。あわてて家を飛び出し、近所の子どもたちと一緒に走っていったら、スタジオの外の駐車場でシャネルズが歌っている姿を見ることができたんです」

ちょうどこのころ松田聖子が登場し、世はアイドルの全盛時代を迎える。

「私はちょっと不良っぽい雰囲気が好きで、明菜さんファンでした。でも大人になってから、松本隆さんや松任谷由実さん、そして大好きな大瀧詠一さんなどから楽曲を提供された、聖子さんの偉大さを感じるようになりました」

同世代の女子たち同様、アイドルの歌はもちろん好きだったが、年齢より少し大人の曲も好んで聴いていたという。

「7歳上の姉と、10歳上の兄がいたので、家にいると、自然と洋楽が耳に入ってくるんです。それで13歳のとき、初めて買ってもらったレコードがモンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、クリス・レア、クリストファー・クロスなども聴いていましたね」

■父の事業が傾き、家計が苦しくなった小学生のころ

こうしたきょうだいの影響を受けて出合ったアルバムが、大瀧詠一さんの『A LONG VACATION』(’81年)だ。

「生まれて初めて大瀧さんの曲を聴いたのも、兄が部屋で聴いていたから。ダブルカセットのラジカセで、よくダビングさせてもらいましたね。はっぴいえんど(大瀧さんが組んでいたバンド)の時代から兄はファンで、私も『春よ来い』などが好きで。

『A LONG VACATION』のおしゃれなジャケットは、今でも部屋のインテリアとして飾っているほど。アルバムに入っている『君は天然色』(’81年)は、イントロを聴くだけで“今から、何かいいことがありそう!”って気持ちになりますよね」

そんな気持ちにさせてくれる音楽が、中学時代のとよたさんの支えになったという。

「小学生のとき、父の事業が傾き、それからは母が一人で3人の子どもを育ててくれたんです。私は小学校から学習院に通わせてもらっていて、学費も大変。母は周囲から『そんな無理をしなくても』と言われていたみたいですが……」

家計が苦しいことは肌で感じていたため、旅行に行きたいとも、洋服が欲しいとも思わなかった。

「よく覚えているのは、ラジカセを持って、当時住んでいたマンションの屋上に上り、緑の多い公園を見下ろしながら、TOTOの『アフリカ』(’82年)を聴いたこと。

未来には希望が待っている”って思えたんです。今でも『アフリカ』を聴くと、当時の切ない気持ちを思い出します」

高校生になると、社会人になった姉が週末、夜遊びに出かける姿を目にするように。大人の世界への憧れも強くした。

「すごく楽しそうなんですよね。酔っ払って、テンションが高い状態で帰ってきて、『六本木のプレステージというディスコに行った』とか、『プールバーに行ってきた』とか、別世界の話をしてくれるわけです」

■オーディションを受けてもすぐに帰されてしまって……

苦労した母を幸せにしたい、自分の道を切り開きたいという思いを抱いていた、とよたさん。中学入学時に150センチだった身長が、3年ほどで167センチまで伸びたこともあり、モデルの道を志した。

「スーツ姿でローラースケートをしたり、公園の噴水を横切ったりする『コカ・コーラ』の爽やかなCMを見るたびに、“私もあの世界に入りたい”って。当時、原宿の竹下通りではスカウトがすごくはやっていて、いっぱい名刺をもらったりしました。それで17歳のとき、好きだった雑誌『mc Sister』(婦人画報社)のモデルがたくさん所属している事務所を見つけて、スナップ写真を送ったんです」

すぐに事務所から連絡があり、ポラロイドカメラでテスト撮影をしたものの、『真帆ちゃん、ありがとう。はい、それじゃあ』と、早々に帰されてしまった。

「ダメだったのかなと思っていたら、すぐにスタッフの方から電話があり、『内緒にしていたけど、今度、独立して新しい事務所を作るから、そっちに来ない?』と声をかけてくれて。この事務所には後に、宮沢りえちゃんも所属することになりました」

とよたさんは芸能活動が可能な高校に転校し、オーディションにはハングリーな気持ちで臨んでいったという。

「特技なんて何もなかったのに、『歌が得意です』と答えたり(笑)。『じゃあ、歌ってみて』と意地悪で言われることもありましたが、そんなときは、高校の学園祭でバンドを組んで演奏した、パット・ベネターの曲を勢いよく歌ったりしました。その勇気を評価してくださったんじゃないでしょうか」

保険会社、大手銀行など、瞬く間に20社近くのCMが決まり、念願のコカ・コーラのCMへの出演もかなえることができた。

「撮影していたスタジオのエレベーター前の廊下で、『ふぞろいの林檎たち』(’83~’97年・TBS系)の中井貴一さん、柳沢慎吾さんと偶然、一緒になり、初対面なのに柳沢さんがいろいろなモノマネをして笑わせてくださって、中井さんはそんな姿を朗らかに見ていたことを、よく覚えています」

生活費も学費も自分でまかない、母の経営するお店の資金もサポート。家族のため、自分の道を切り開こうとチャレンジしたのが、とよたさんの’80年代。

「二十歳のころ、母のために伊豆高原におうちを買ったのですが、眼前に広がる景色を眺めながら、大瀧詠一さんの曲を聴いていました。

きっと、これからいいことがある――。そんな気持ちにさせてくれる大瀧さんの曲は、何年たっても色あせず、いまだに聴き続けているんです」

【PROFILE】

とよた真帆

’67年、東京都生まれ。高校在学中からモデルとして活躍し、’89年、ドラマ『愛しあってるかい!』(フジテレビ系)で、女優デビュー。現在もドラマ、映画、舞台などで活躍中