受給開始時期を遅らせることで、受け取る金額を増やせる年金の繰り下げ。しかし、年金の額が増えると、税や社会保険料の負担も増えるという。
「年金の繰り下げの仕組みが大きく変わります。現在は70歳までの繰り下げ受給が、4月からは75歳まで可能になるんです」
そう語るのは、ファイナンシャルプランナーで「生活設計塾クルー」取締役の深田晶恵さん。
この4月から施行される年金制度改正法によって、今年の4月1日以降に70歳になる人は、75歳まで公的年金(以下年金)の受給開始を繰り下げできるようになる。
「受給を1カ月遅らせると、額面の年金額は0.7%増えます。たとえば5年繰り下げて70歳から受け取ると65歳時点で受け取る金額の1.42倍が、10年繰り下げて75歳から受給した場合には、1.84倍が受け取れます。65歳時点の年金額が年200万円の人なら、5年繰り下げると年金額が284万円、10年繰り下げると368万円に。この金額を生涯にわたって受け取れるのが繰り下げ受給の魅力です」
【年金の繰り下げ受給のポイント】
・年金額が増える
・公的年金は生きている限りずっともらえるので、長生きするとお得に!
【年金の繰り下げ受給の注意点】
・厚生年金の繰り下げ期間は、加給年金を受け取ることができない
・夫の死亡後に妻が受け取る遺族厚生年金の額は65歳時点の金額。繰り下げで増えた分は反映されない
・年金額が増えると、社会保険料や医療費の自己負担額などが増える場合がある
老後の生活を支える虎の子は、額面ではなく実際に使える“手取り額”を把握しておくことが重要だ。じつは、年金の手取り額は繰り下げによる額面の増加と同じようには増えないという。
「受け取る年金額によっては、収入が増えると同時に、社会保険料や税の負担が大きくなる場合があるのです。年金の手取りは、額面から所得税と住民税、国民健康保険料(75歳以降は後期高齢者医療保険料)と介護保険料を引いた金額。所得税は全国共通ですが、それ以外は住んでいる自治体によって金額が異なります。
■年金が夫200万円、妻78万円の場合繰り下げるとどうなる?
それでは、額面と手取りでは実際にどれくらいの差があるのだろうか? 今回は東京都世田谷区に住む「夫200万円、妻78万円」と厚生労働省のモデル世帯に近い同年齢の夫婦を想定し、65歳から年金を受け取る場合と、5年、10年と繰り下げたケースでの手取り額を深田さんに試算してもらった。
「65歳から年金を年200万円受け取る夫の場合、介護保険料は4万8,000円で、国民健康保険料は9万7,000円(ともに年間、端数切り捨て)に。5年繰り下げて、受給額が284万円に増えると、介護保険料は9万3,000円、国民健康保険料は22万9,000円に増えて、手取りの増額率は額面の増額率より大幅に低くなります。一方、基礎年金だけの妻の場合は、元の金額が少ないため、年金額が増えても社会保険料や税の負担はそれほど大きくなりません。手取りでも額面と同程度の増額効果を得ることができます」
何歳まで受給すれば、65歳から受給した場合の年金の総額を超えるかという「損益分岐年齢」も額面と手取りでは違ってくる。
額面ベースなら、70歳から受給すると81歳11カ月、75歳から受給すると86歳11カ月で、65歳から受給したときよりも受け取る年金総額が大きくなる。
「年金200万円の夫の場合、手取りベースの損益分岐年齢は、70歳から受給した場合85歳6カ月、75歳からなら89歳8カ月に後ろ倒しとなります」
一方、年金78万円の妻の場合、手取りベースの損益分岐年齢は5年繰り下げで82歳、10年でも87歳。額面と比べても差はわずかだ。
厚生労働省の「令和2年度の簡易生命表」によると、60歳まで生きた男性の平均寿命は84.21歳、女性は89.46歳。年収200万円前後の男性の場合、年金の受給開始を70歳や75歳に繰り下げても、元が取れる可能性は女性ほど高くないことは頭に入れておいたほうがよさそうだ。
■年金が増えると医療費負担も増える
さらに、年金収入が増えた場合、医療費の負担も増加する。
「75歳以上の高齢者の医療費窓口負担は原則1割ですが、10月からの法改正で、一定の所得(単身世帯は年金含めて200万円以上など)がある人は2割に引き上げられます。
深田さんの試算によると、年金200万円の夫が、65歳から年金を受給した場合は、75歳以上の医療費の窓口負担は1割にとどまるが、70歳、75歳までと年金を繰り下げた場合には、2割負担になる可能性が高いという。
図のチャート(画像参照)を参考に、自分の負担割合が何割になりそうかを知っておくことも重要だ。
では、どのような人が繰り下げに適しているのだろうか?
「男性でも女性でも、予想される年金収入が少ないと、増額に伴う手取り率低下の影響を受けづらく繰り下げで得をしやすいです。自営業の人や専業主婦など年金を100万円前後かそれ以下しか受け取れない場合には、75歳まで繰り下げるのも選択肢です」
都市圏の場合、夫婦なら夫の年金額が211万円未満で、扶養される妻の年金額が154万円未満であることが住民税の均等割が非課税になる基準。この金額を超えない範囲での繰り下げなら、社会保険料の負担の急増を避けて、年金を増やすことができそうだ。超える場合、もちろん手取りの金額自体は増えるがお得感は少なくなる。
■貯金を崩してまで繰り下げしなくていい
「そうはいっても、いちばん問題になるのは繰り下げ期間中の生活費をどう賄うのかです。年金を受け取るまでの期間、貯蓄を取り崩して生活するのは危険。年間の生活費に300万円かかる場合、老後資金が2,000万円あったとしても5年間で500万円にまで減ってしまいます。年金受給までの生活費を貯金で賄う人の場合、70歳時点で貯蓄が1,000万円を下回ってしまうなら、繰り下げず65歳から受給して。
一般的に妻は夫よりも長生きする確率が高いが、年金額は少ない。
「夫の死亡後に妻が受け取る遺族厚生年金の額は、65歳時点の年金額を基に計算するため、夫の年金を繰り下げても、夫亡き後の妻の生活の支えにはなりません。妻の年金は元の金額が少ない分、繰り下げの恩恵も受けやすい。女性の長生き対策としても、妻の年金はできる限り繰り下げるのがおすすめです」
年金の繰り下げ受給を、シニア時代を豊かに過ごすための大きな武器にするかどうか、しっかり見極めたいものだ。