運送業界での女性比率は2.4%と低く、8年前から国土交通省でも女性トラックドライバーを、通称“トラガール”と呼び、さまざまな普及の取り組みを促進してきた。

岡山市の運送会社「岡山スイキュウ」で働く石原麻衣子さん(43)は、昨年10月に行われた全日本トラック協会主催の「第53回全国トラックドライバー・コンテスト(ドラコン)」で、女性部門1位となった。

つまり、日本一のトラガールだ。

運転技能などを競うドラコンでは、これまで大手が上位を独占してきたこともあり、従業員数600人弱という地方企業のトラガールの快挙に、マスコミでは「中小企業の星」という見出しも躍った。

「ドラコン優勝は、10年前にプロジェクトチームができて以来の悲願でした。石原さんは、ママさんドライバーとしても、ほかのトラガールに夢を与えてくれました」

チーム監督の増田修一さん(48)は、満面の笑みで語った。

15歳、13歳、12歳と、3人の子供を育てるシングルマザーでもある石原さん。男社会のイメージが強いトラックドライバーの世界で、母親業と両立させながら最も権威あるドラコンで頂点に立つまでには、あの『プロジェクトX』や『下町ロケット』にも負けぬ、熱い仲間たちとのドラマがあった。

■「ドラコン」へのチャレンジは中小企業の意地

16年春、石原さんが岡山スイキュウに入社すると、すぐに新人教育で運転技術のチェックを受けた。このときの教官だった増田監督は石原さんの運転を見て、そのセンスのよさを一目で見抜き、思った。

「彼女を、なんとしてでもドラコンチームに引き入れなければ」
「ドラコン!? なんじゃそれ?」

増田監督に、プロジェクトチーム入りを誘われたときの、石原さんの第一声だった。

「ドライバー・コンテストの存在すら知らなかったんです。説明を聞いても、正直、乗り気にはなれませんでした。運転は大好きで、少しは自信もありましたが(笑)、育ち盛りの子も3人おって、なんで、わざわざ仕事以外のことに時間を使わなきゃいけないんかと」

しかし、増田監督も簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

「石原さんは、ハンドルを切る角度も細やかで、まさに車と一体になって運転しており、優勝も夢じゃないと確信しました。チーム監督として、私がいつも胸に秘めていたのは、

『打倒A社、打倒B社』という、いつか大手を打ち負かすぞとの思いです。

悔しいじゃないですか。規模や環境では劣っていても、ドライバー個々の技能は引けを取らないわけですから。

石原さんという才能を得て、私が次にしたことは、『すごい新人が現れた』と言いながら、練習時間を割いてもらえるよう営業所の上司らに根回しすることでした」

石原さんが所属する倉富物流センター所長の篠田光生さん(49)にも、迷いはなかった。

「わが社は、昔から女性ドライバーの採用を推進してきました。約230人いるドライバーのなかで、女性は20人ほどですが、これは業界では高い比率と自負しています。現在も最高齢で60歳のトラガールの方がいます。彼女たちは、運転だけでなくお客さまへの対応もこまやかで、評判なんです。

ドラコンへのチャレンジは、中小企業としての意地でもありますから、応援しないわけがない」

やがて本社の駐車場には、本番と似せた走行コースの練習場も完成。その前に、増田監督らは競技会場の下見までしている。こうして営業所どころか、会社一丸となってバックアップする態勢が整っていった。

「ドラコンへの挑戦で、ドライバーとしての視野も広がるぞ」

そう言いながら、増田監督から手作りの“過去問”を渡されて、最初は戸惑ったという石原さんだった。ドラコンでは、運転技能に加えて学科の試験もあるのだ。

「ええっ、いまさら問題集、やってられんわぁと思いました。でもすぐに会社も勉強会の時間を作ってくれたり、その間の配送を仲間のドライバーが手伝ってくれたり。みんな、私がいったん帰宅したら、やんちゃな子供が3人もおって勉強どころじゃないと、わかってくれていたんですね。

その分、家事は、日曜に子供たちと買い物に行って、いつも仕事で自分で運んでる(笑)冷凍食品を買ったり、お総菜を1週間分作り置きしたりで、やり繰りしました」

そして17年10月、ドラコン全国大会に初出場を果たす。

「台風の中の大会で、競技のメインイベントともいうべきバックのスラローム(S字曲線)からの車庫入れで思うようにいかず、2回切り返して、6位。悔しくて、やっとスイッチが入ったかな」

プロジェクトチームの一員である松本晃弥さん(31)は、

「石原さんの運転テクニックは、ほかの男性ドライバーも一目置いています。ふだんから走りながら、現場の道路で腕を磨いてる、尊敬できる先輩ドライバーです」

日常業務をこなしながら、石原さんも、来年こそは絶対に優勝と思っていた。

ところが、

「子供会の会長をしていて、ちょうど秋祭りと重なって。出店の店番もしなくちゃいけなくて、泣く泣くドラコンを辞退しました」

これに大きく落胆したのが、増田監督だった。

「実は、私は1回目の出場時から彼女の優勝を狙っていました。

達成できると思ったのは、ふだんはどこか天然なところもある彼女ですが、いざ学科の勉強が始まると、熱心にノートを取り、ガンガン質問もするタイプなんです。そのまじめさとあのセンスがあれば万全、と思ったんです。

あとは、物怖じしないハートの強さ。実は私自身、ドラコン挑戦組の第1号でもあります。でもね、本番になると緊張しぃで、県大会止まり(笑)。それを彼女は、淡々と『楽しんで乗ってきます!』と言ってのけます。

子供会で『今年は無理です』と聞いたときはがっかりしましたが、ああ、名ドライバーもお母さんなんやなぁと、改めて思いましたね」

翌年も子供会の役員をしていて出場できずに、ようやく20年秋に今年こそと思っていたら、コロナ禍で大会そのものが中止に。

「ですから、21年秋のドラコンは、私には、まさしく、最後のチャンスと思って臨みました」

石原さんが“最後”と言うのは、大会の規定で、全国大会へのチャレンジは一人2回までと定められているからだ。

そして、いよいよ21年10月、茨城県ひたちなか市で第53回のドラコン全国大会が開催された。

地区予選を勝ち抜いた108人の精鋭ドライバーのうち、トラガールは15人。石原さんは岡山県代表だ。

1日目の学科試験では若干のミスもあったが、本人は、

「これで開き直って、2日目の実技を、のびのび運転できた」

その実技での、最難関のスラロームでのバック走行。

「いつも監督や仲間と練習したときを思い出し、“自分らしく”と言い聞かせながら走りました」

石原さんの運転する、鉄の塊のようなトラックの巨体が、わずか数cmのポールの間を、しなやかなS字の弧を描きながら進んでいく。それは増田監督が命名した「神ライン」を達成できた証しだった。

監督やドライバー仲間たちは、コロナによる無観客開催のため会場には行けずに、本社でのライブビューイングで観戦していた。そして、結果発表。

「第1位、おか……」

アナウンスを最後まで聞かずに増田監督が叫ぶ。

「勝った!」
「おおおおーー!!」

会社中が喝采に沸いた。結果は、1000点満点中949点の堂々たる高成績だった。

「もう、『岡山県代表』と全部聞く前に号泣してました」

監督の脳裏を、みんなで「あきらめない」を合言葉に切磋琢磨した日々がよみがえる。

プロジェクトチームの結成からまさしく「苦節10年」。地方の中小企業が、一人のトラガールが、並み居る大手を打ち負かした瞬間だった。

■長女がトラガールを目指すと言ってくれた

「優勝を報告したときは、ドラコンの意味がわからなくてポカンとしてた息子たちも、副賞の旅行券で正月にユニバーサル・スタジオ・ジャパンに連れていって初めて『ママ、すごい』でした(笑)」

石原さんには、優勝後、もう一つ、うれしいことがあった。長女が、母親と同じ「トラガールを目指す」と言ってくれたのだ。

当の梨菜さん(15)に聞いた。

「世間では、カッコいいトラガールかもしれませんが、家での母は、かまってちゃん(笑)。

また母はよく、私たちを連れてスーパーに行くと、冷凍食品売場の前で『これはママたちが運んだ商品。ドライバーという仕事がないと、社会は回っていかないんだよ』と教えてくれました。

そのころからのドライバーへの憧れが、母のドラコン優勝を機に確信と変わりました。この春、高校に入学したら、母と同じ職場で配送のアルバイトから始めます」

好きなことを生涯の仕事にしている自分は幸せ者とも言う石原さん。

「この会社で、『女だてらに』とか『女はダメだ』と言われたことはありません。私が、男性ドライバーのみなさんと同じく、運転が好きという気持ちが伝わっているせいかもしれません。何事も中途半端で、学生のころから団体行動が苦手だった私。一人でいられるトラックの運転席は、そんな私がようやく見つけた心地よい居場所なんです」

11トントラックの窓からそう言い残すと、春風の中、トレードマークの長く赤い髪をなびかせながら次の配送先へと走り去った、いつもの軽やかなハンドルさばきで。

編集部おすすめ