夕暮れ時の東京・上野。報道陣が待ち受ける中、到着した車から天皇陛下に続いて、雅子さまが降りられた。
「報道陣にはもともと、天皇陛下お一人でご覧になるとアナウンスされていました。雅子さまも体調を整え、行かれることになったようです」(皇室担当記者)
雅子さまのご同行は“サプライズ”だったのだ。
両陛下は、15世紀に制作された「銅鐘 旧首里城正殿鐘」という銅製の鐘について説明を受けた。雅子さまは、鐘の穴や凹みをご覧になって「やはり戦争の傷ですか」などと質問されていたという。
この2日前、天皇陛下は、就任後初来日となったバイデン米大統領と御所で面会されている。だが、その席に雅子さまはいらっしゃらなかった。
陛下はご自身と米国との関わりについて発言するなかで「皇后も高校、大学を米国で過ごし、たくさんよい思い出を持っています」と、雅子さまについても言及。さらに帰り際には「次回は皇后を交えてお会いしたいです」とお伝えになった。
接遇の場に姿をお見せにならなかった雅子さま。だが、前出の皇室担当記者は「この選択に雅子さまの信念を感じる」と語る。
「今回は、バイデン大統領は夫人を伴わない来日であったため、外交儀礼上、陛下との一対一の面会となったのは自然なことです。
皇后となられて1年目に、当時のトランプ米大統領と通訳なしでお話しになる姿が話題になったように、国際親善は雅子さまの資質がもっとも輝くお仕事といっても過言ではありません。それでも雅子さまは、2日後にある琉球展に確実に同行したいとお考えになって、バイデン米大統領との面会を見送られたのではないでしょうか」
雅子さまはいまだに適応障害の療養中であり、“体調の波”がある。短期間に複数のご公務に出席するのは大きな負担だ。そういった状況下で、沖縄関連の公務を優先するという選択の陰に、いったいどんな決意があったのか。
■天皇陛下の目に光るものが…
5月15日、沖縄復帰50周年記念式典に両陛下はそろってオンラインで出席されている。陛下は、お言葉のなかで沖縄の“犠牲”について言及された。
「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから(命こそ宝)』の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」
さらに、沖縄の発展や県民生活の向上などに触れたうえで、次のように述べられたのだ。
「一方で、沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」 近現代の皇室に詳しい、歴史学者で名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは「沖縄には『今も課題がある』と明確に述べたことは大きな意味がある」と語る。
「政治的な発言ができない天皇の立場から、慎重に言葉を選んだのでしょう。『さまざまな課題』という言葉で、米軍基地問題などを私たちに思い起こさせたのだろうと感じます。
お言葉を述べられているとき、陛下の感情があふれ出たように見える場面があった。宮内庁関係者が語る。
「沖縄の“苦難の道”に言及されたあたりで、陛下の右目に光るものが見えました。陛下は涙を浮かべていたのではないかと、宮内庁内でも話題になっているのです。この50年の歩みを振り返り、感極まったのではないでしょうか。雅子さまも、陛下と同じ思いを抱かれたのでしょう。雅子さまも涙を浮かべんばかりの神妙なご表情で、陛下を見つめていらっしゃいました。両陛下は本土復帰50周年の節目に、沖縄へ心を寄せる活動にいっそう力を入れようと決意を固められたのではないでしょうか」