住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった映画やテレビの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「漫画『気まぐれコンセプト』(’81年~・小学館)でマスコミ業界に興味を持って、映画『私をスキーに連れてって』(’87年)の影響で白いスキーウエアを購入。両作品がホイチョイ・プロダクションズのものだと知ったのは後のことですが、ずいぶん操られていたんだなって(笑)」
こう語るのは、フリーアナウンサーの大坪千夏(56)。青春が詰まった’80年を迎えたのは、転勤一家が福岡に落ち着いた、中学2年のときだった。
「たのきんトリオではヨッちゃん(野村義男)が好きでした。『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)の、人見知りで純朴な少年が初恋に破れてしまうシーンを見て、そのモジモジさに引かれて……。ファンレターを送ったのですが、当然、返事が来ることはなく、すぐにモッくん(本木雅弘)に乗り換えました(笑)」
生まれて初めて買ったレコードは『セーラー服と機関銃』(’81年)。映画がきっかけだった。
「中洲で上映している映画は、だいたい2本立てだったのに、『セーラー服と機関銃』は1本立て。“物足りないな”と思いましたが、実際に見ると、物語に引き込まれるし、ラスト近くの機関銃をぶっ放すシーンが爽快! 子どもにとっては高額な映画パンフレットを清水の舞台から飛び降りる覚悟で買い、何度も劇場に足を運びました」
高校に進学すると、バスケットボール部の練習が厳しく、家に帰ると疲れてすぐ寝てしまうような毎日だった。
「それでも、聖子ちゃんや明菜ちゃん、キョンキョンが出演する『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)などの歌番組だけは欠かさず見ていました。聴きたい曲はテレビにラジカセをくっつけて録音し、編集したカセットテープを友達と貸し借りすることも」
部活中心の生活だったこともあり、現役時は大学受験に失敗。浪人生活を送ることになった。
「当時の“公立進学校あるある”なんですが、学校行事に手を抜かず、“4年”で大学を目指すという雰囲気。浪人するのは珍しくなく、私が通っていた福岡の河合塾にも友人が何人もいたので、危機感もありませんでした」
ウォークマンで大瀧詠一や山下達郎などのシティポップを聴きながら通った予備校時代のモチベーションとなったのが“東京に行きたい”という思い。
「『モーニング』(講談社)の『ハートカクテル』(わたせせいぞう)には東京でのおしゃれな恋愛模様が、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)の『気まぐれコンセプト』(ホイチョイ・プロダクションズ)には広告代理店などのマスコミ業界が描かれていました。“東京に行けば、華やかなマスコミ業界で働くカッコいい男性にドライブに誘われ、ジャズの流れるバーに連れていってもらえる”と妄想は膨らむばかり」
■思い出作りのために出演した『ねるとん紅鯨団』
1年間の浪人生活を経て、晴れて東京の女子大に合格した大坪。憧れの東京生活が待っているはずだったがーー。
「アッシー、メッシーという言葉がはやりだしていて、同級生の中にはボーイフレンドの名前を“ベンツくん”など、車種で呼ぶコもいました。正門の前でバラの花束を抱えて待っていた男性と、高級車に乗り込むコも」
でも、みんながみんな、バブリーな生活を送っていたわけではなく、地味な学生も少なくなかった。
「理系だった私は地味なほう。しかも門限が夜10時という県人会の寮生活。みんな方言で話すから、地元の福岡にいるような感覚でした。ディスコにも1回しか行ったことがないんです」
そんな学生生活でも、華やかな体験はあったという。
「冬休みにはスキー場のロッジで住み込みのアルバイトをしたことも。
映画のヒットにより、『ねるとん紅鯨団』(’87~’94年・フジテレビ系)の舞台がスキー場になったことがあった。
「地味な学生生活だったから、思い出作りのために出演したんです。スキー場に向かうバスの車中は、『本当に彼氏いないの?』などと女性同士がけん制しあうピリピリムード。みんな、かなり本気でした」
番組では、年下のイケメンカメラマンから告白されるも、彼女は「ごめんなさい」。
「帰りのバスで、その男性の人気が高かったことを知って『なんで断ったの?』と責められました。私の大学生生活の中で、もっとも華やかだった一日かな」
その後も『彼女が水着にきがえたら』(’89年)を見て、スキューバダイビングに挑戦。
「これらの映画や『気まぐれコンセプト』がホイチョイの作品だということに気づいたのはこのころでした」
大学を卒業した’90年、フジテレビに入社。
「テレビ局に入ると、研修もそこそこにいろいろな番組につかせてもらえたのはありがたいことでしたが、深夜の収録終わりで着替えだけに帰宅してすぐ取材に出たり、昼夜問わずロケに呼び出されたり……。忙しさはまさに『気まぐれコンセプト』で描かれている世界でした」
くしくも、フジテレビの深夜番組ではホイチョイ・プロダクションズが手がけた『カノッサの屈辱』(’90~’91年)、『TVブックメーカー』(’91~’92年)が、若者を中心に大人気となっていた。
彼女はこれらの番組でプロデューサーを務めた桜井郁子さんに声をかけられ、先鋭的なクリエーターが集った、異色の子ども向け番組『ウゴウゴルーガ』(’92~’94年)に出演。
「間接的とはいえ、ホイチョイ・プロダクションズの世界に触れることができたのは、大きな経験。その後、自分で企画から番組を立ち上げたときも、何かしらの影響を受けていたはず。人を楽しませることに長けていて、“仕掛けて時代をつくる”ことに巧みなホイチョイを、無意識に追いかけていたんですね」
【PROFILE】
大坪千夏
’66年生まれ、福岡県出身。日本女子大学を卒業後、’90年フジテレビに入社し、バラエティ、スポーツ番組を多く担当する。担当した子ども向け番組『ウゴウゴルーガ』ではタレントの千秋とともにCDも発売。’05年からは海外に生活を移し、現在はマレーシアと日本の2拠点で活動中