「少し瘦せたかなと思ったけど、それもまた素敵でした。『僕、YouTubeやってるんですけど、あ、全然登録とかしなくていいです』なんて言っていて、かっこよさだけでなくかわいさも爆発してました!」(八戸公演を見たファン)
プロ転向後初のアイスショー『プロローグ』が、12月5日に青森県の八戸で千秋楽を迎えた羽生結弦(28)。
八戸に駆け付けたファンのなかには、ショー会場とは別のアイスリンクに足を運ぶ人もいたという。羽生と縁の深い場所だからだ。
そのテクノルアイスパーク八戸の坂本久直館長はこう語る。
「東日本大震災直後の4月、羽生さんはこのリンク(当時の名称は新井田インドアリンク)で練習していました。当時のスケート靴を寄付してくださってこちらで展示しているために、ファンの方の“聖地”になっているんです。ショーの期間中とその前後は、1日50人以上は来られたと思います。『聖地で滑ってみたい』と言って、滑っていかれた方もいましたよ」
会場を飛び越えて盛り上がりを見せていた今回のショーだが、千秋楽にはビッグサプライズがーー。
突如、会場スクリーンに「2023・2・26 東京ドーム」の文字が浮かび、来年2月26日、東京ドームでワンマンショー『GIFT』を開催することが発表されたのだ。
「東京ドームは最多収容人数5万5千人。アイスショーとしてはありえない規模です。一夜限りとはいえ、東京ドームに氷を張ること自体が初めてだといいます」(スポーツライター)
東京ドーム公演の案は、『プロローグ』よりも先にあったという。
「東京ドームの日程を押さえられるかどうかで進行が難航していたそうです。その後、会場を確保できたため、『プロローグ』と並行して企画を進めてきたといいます。制作総指揮を羽生さんが務め、演出はPerfumeのライブ演出で有名なMIKIKO氏が担当します」(スポーツ紙記者)
八戸公演終了直後の取材で、羽生は『GIFT』について「東京ドームを選んだ理由は、“東京ドームでやらないか”というお話をいただけたから」と語っていたが、前出の坂本館長はこう話す。
「もともと“羽生さん本人が『東京ドームでやりたい』という希望を持っている”という噂を関係者の方から聞いていました。でも“さすがに難しいんじゃないか”という話だったのですが……。それを実現させてしまうとは、やっぱり羽生さんは不可能を可能にする男なんですね」
同じくスケールの大きさに目を見張るのが、フィギュアスケート評論家の佐野稔さんだ。
「東京ドームのあの巨大な空間をたった1人で滑るなんて、びっくりですよね。アイスショーでいちばん集客力が強いといわれる『ディズニー・オン・アイス』でも、東京ドームではやりません。アイスショーというより“羽生結弦ショー”ですよ。すごいことですよね、これは」
■自ら脚本執筆、自伝的な物語仕立てのショーか
規格外のショーの中身について、『朝日新聞』12月6日朝刊のインタビューで羽生が話している。
《いま、自分で物語を書いています》
前出のスポーツ紙記者によると、
「ショーは物語仕立てだといいます。そして羽生さん自らがその脚本を執筆したようです」
“脚本家デビュー”とは驚きだが、本誌は以前、羽生の大学の卒業論文を担当した恩師に「彼は文章がうまい」と聞いたことがある。
さらに、羽生はこう続けている。
《僕の人生って、きれいごとでまとめようと思えばまとめられるんです。でも、『私たちと一緒だな』と『羽生結弦って、普通の人間だな』って思えるような物語を考えています》
コメントから読み解くに、自身の人生を色濃く反映した自伝的なものになるということだろう。前出のスポーツライターもこう分析。
「羽生さんの人生には輝かしい瞬間がたくさんありますが、そういう光の部分よりも、きれいごとでない“闇”の部分を見せようと考えているのではないでしょうか」
五輪2連覇を遂げ、個人では史上最年少で国民栄誉賞を受賞。人格面でも礼儀正しい好青年。“ヒーロー”のような羽生だが……。
「強く優しく見える羽生さんだって、思春期にはお母さんに反抗したこともあったそうですし、SNSの誹謗中傷を見れば傷つき怒りを覚えることもあるでしょう。また、コロナ禍で仙台でたった一人で練習を重ね苦しんでいた時期もありました。このときのことを、『暗闇の底に落ちていく感覚だった』と本人が話しています。そしてやはり震災のことは彼の人生に大きな影を落としているでしょう」(前出・スポーツライター)
前出の坂本館長が、震災当時の八戸での羽生の様子を改めて語ってくれた。仙台の地元のリンクが使えない状況のなかで、
「羽生さんは、仙台から当時のコーチだった阿部奈々美さんの車に乗って、2人で来ていました。
八戸のリンクの薄暗闇の中で練習する16歳の羽生が、震災の傷を抱えて苦しんでいたことは想像に難くない。
「『プロローグ』の中でも、羽生さんはあえて震災の映像を流しています。彼にとって、つらさを忘れないことは大切なこと。“闇”に落ち込んで、もがいた経験が光になっているとも感じているのだと思います」(前出・スポーツライター)
羽生が“闇”を晒して挑むショーに、数万人が酔いしれるーー。