住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「私がデビューして間もないころ、写真家のアラーキー(荒木経惟)さんに誘われて、役者仲間たちと六本木のバーへ行くと、そこに宮沢りえさんとりえママが! 上京したばかりで、田んぼから出てきたカエルのような私はイモくさい服装だったのに、りえちゃんはモダンなアニマルファーのかわいらしいミニワンピ。りえママから『りえ、何か弾いたら』と促されてグランドピアノを弾き始めると、大騒ぎしていた私たちは静まり返り、その存在感に圧倒されてしまいました」
デビュー当時の思い出を語るのは、女優の鈴木砂羽さん(50)だ。女優として活躍するため、劇団で研究生をしていたころ、宮沢りえから目が離せなかったという。
「“表現者になりたい”と志す土台を作ってくれたのは、小学1年から習い始めたモダンバレエ。県下(静岡県)ではいちばん大きな教室で、年に1回は大きな市民会館で舞台に立っていました。人前でスポットライトを浴びて演じた経験は大きなもの」
舞台の上では積極的だったが、ふだんの学校生活はインドア派、1人でいることが多かった。
「両親が画家ということもあって、絵を描くのが好きでした。漫画も好きで、一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』(’81年~、集英社)や池野恋先生の『ときめきトゥナイト』(’82~’94年・集英社)を読んでは、キャラクターを描き写していました。クラスの友達はジャニーズに夢中でしたが、私は『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年、日本テレビ系)にどハマり。再放送やレンタルビデオで何度も見返し、魔法の力を借りて東京に行ってアイドルになる女の子を主人公にした『ラブリードリィ』というオリジナルの漫画を描いたほどでした」
高校卒業目前の’90年代初め、砂羽さんは進路に迷っていた。
「モダンバレエを続けたことが表現をする自信になっていたし、高校時代に自主映画を製作した経験から、演技の勉強をしたいと思ったんです。憧れの桃井かおりさんや樋口可南子さん、安田成美さんとゆかりのある女子美術大学を目指し、当時はそんなに難易度が高くなかった短期大学部の服飾デザイン系の学科に入学することができました」
■三井のリハウスのCM以来、宮沢りえに夢中
上京後は、芸能プロダクションが併設されている俳優養成所の門をたたいた。
「でも、何か違うと感じて……。親にお金を出してもらっていたので1年間は通ったのですが、わりとブランド志向だった私は、“名門に行ってもっと勉強したい”と文学座を目指すことに」
当時、朝ドラヒロインの登竜門ともいわれた文学座には、研究生の募集に数千人が集まったが、見事に合格。
「研究生として所属することが決まり、女優になるという夢が近くなったような気がして、短大は1年で中退しました」
宮沢りえの『Santa Fe』が発売されたのも、ちょうどこのころだった。
「当時、トップアイドルが脱ぐなんて初めてのことじゃないですか。それだけでも衝撃的なのに、写真は健康美そのもので、めちゃくちゃきれい。そもそも、私は高校時代に見た三井のリハウスのCM以来、りえちゃんに夢中でした。ありえないくらいかわいくて、実在するのか? 本当に人間なのか? と考えて呆然としてしまうほどの美少女。お母さんが日本人でお父さんがオランダ人というハーフなんですが、かなり日本人に近い。こんなハイブリッドな美しさは、逆さになってもかないません。うらやましいを通り越した存在」
写真集発表後、砂羽さんにとって宮沢りえは女神のような存在へ。
「カラオケで友達が小室哲哉さんプロデュースの『ドリームラッシュ』を歌っているのを聴くだけでテンションが上がりました」
さらに女神は、貴花田(現・貴乃花光司)との婚約を発表し、彼女を驚かせた。
「婚約のニュースをバイト先のスナックで知って震えるくらい動揺しました。それからですね、りえちゃんだけでなく、なぜかりえママからも目が離せなくなったのは」
テレビのワイドショーや女性週刊誌では逐一、りえやりえママの動向が報じられた。
「表紙に『りえ』という文字を大きく打ち出していた『女性自身』も毎号欠かさず、当時通っていたお風呂屋さんで読みました。りえちゃんが“お寿司を8貫食べた”という報道ひとつにも、いちいち感動していました」
砂羽さんがまだ駆け出しのころ、市原悦子さんと宮沢りえが親子役を演じる『花嫁介添人がゆく』(’90~’96年・フジテレビ系)というドラマシリーズにゲスト出演する機会に恵まれた。
「私なんかがおいそれと話しかけられる存在ではありませんでした。でも、あのころ、寿司を8貫食べたという記事があったのに、今は週刊誌で激ヤセと報じられるなど、すごく心配で……。それで私の出番が終わったとき、思い切って手紙を渡したんです。ただ、その内容が“一連の報道を聞いて心配” “話を聞いてあげたい”というようなことを長々と書いた偏執的なもので、今振り返ると恥ずかしさしかありません」
’90年代はずっと風呂なしアパートで過ごすほどの貧乏生活が続いたがーー。
「お風呂屋さんのお母さんが見かねて卵やキャベツをくださったり、俳優の仲間が貧乏アパートに来て、朝まで怪談話をしたり、ボロボロの中古車でドライブしたり……。毎日が楽しくて豊かでした。そんな20代の経験が女優に生かされていると思います」
人生経験を重ね、女優として成長した砂羽さんは、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(’11年、NHK)で再び宮沢りえと共演することに。
「撮影時は、りえちゃんとごく普通にお話しすることができました。
【PROFILE】
鈴木砂羽
’72年、静岡県生まれ。’94年に、荒木経惟の写真集を原作とした映画『愛の新世界』で主演デビュー。その後も舞台、テレビドラマで幅広く活躍するかたわら、特技を生かして漫画誌でコミックエッセイの連載も。’22年の『相棒21』にて、14年ぶりに亀山薫の妻・美和子役に復帰した