「報道などによって、日本ではパレスチナといえば常に紛争中の危険な場所だというイメージがついてしまいましたが、実際に紛争が起きているのは、一部の地域です。それ以外の場所では、普段通りの生活をしている人がいます。
また、パレスチナは貴重な文化遺産が点在する魅力的な観光地でもあります。ぜひ、多くの人に魅力を知ってほしいと考えています」
そう語るのは、2021年8月からJICA(独立行政法人国際協力機構)の技術協力事業専門家として、パレスチナ自治政府の観光遺跡庁でマーケティング・プロモーションアドバイザーを担当している降旗翔(ふりはたかける・41)さんだ。
日本はJICA等を通じて長年パレスチナへの支援行ってきた。それは観光分野にも及んでいる。
しかし、昨年10月7日のイスラム組織ハマースによるイスラエルへの攻撃と、その後のイスラエルによるガザへの侵攻による情勢悪化によって、パレスチナ観光は危機に瀕しているという。
パレスチナの観光地としての魅力、そしてガザの情勢悪化を受けたヨルダン川西岸地区の現状を降旗さんに聞いた(前後編の前編)。
■失われていたモザイク床が日本の支援で蘇った
「世界的に有名な都市エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、貴重な文化遺産がパレスチナ全土に点在しています。ジェリコにあるヒシャム宮殿もそのひとつ。JICAはこの宮殿の保護と、広報活動を長年支援してきました」(降旗さん、以下同)
旧約聖書にも名前が登場するジェリコは死海北西部の町。海抜は約マイナス240mと世界でもっとも低地にある町としても知られている。
2006年7月、日本政府が立ち上げた、将来のイスラエルとパレスチナの共存共栄に向けた取り組み「平和と繁栄の回廊」構想をうけて、JICAは2009年から持続可能な観光振興のための技術協力を実施。
その後、2016年にスタートしたのが無償資金協力の「ジェリコ・ヒシャム宮殿遺跡大浴場保護シェルター建設及び展示計画」だった。
「ヒシャム宮殿は、7~8世紀のイスラム王朝であるウマイヤ朝時代の代表的なイスラム建築です。その特徴は中東最大規模の825平方メートルを誇るモザイク床。美しい幾何学模様や花柄が21色の自然石でデザインされ、『生命の樹』と呼ばれる貴賓室にあるモザイクは、左に草を食べるガゼル2頭、右にライオンに襲われるガゼル1頭が配され『善と悪』または『平和と戦争』を表現しているとされています。
カリフ(イスラム指導者)の冬の別荘として使われ、お風呂につかったり、接待で使ったりしていたようですが、749年の地震で倒壊。砂に埋もれてしまいました」
1873 年に発見され、その後、何度か発掘作業が行われたが、遺跡のモザイク画の大部分は砂に覆われ、見られない状態が続いていた。露出した部分も風雨にさらされ、風化の危機にあったという。
日本は約12億円の支援を行い、5年の歳月をかけて、2021年6月に宮殿を覆うシェルターが完成した。シェルターの設計にあたったのは、日本の設計事務所・マツダコンサルタンツだ。完成式典には茂木敏充外務大臣(当時)も出席。パレスチナ自治政府の観光遺跡庁長官とともにテープカットを行った。
式典で公開された遺跡の美しさに報道陣は息を飲んだ。床を覆っていた砂は取り払われ、カリフが愛した見事なモザイクが約1300年の時を越えて現代に蘇ったのだ。
■遺跡を通じてパレスチナの魅力を伝えたい
JICAが行っている支援事業の重要性を、ヒシャム宮殿遺跡の広報も担当する降旗氏はこう語る。
「大切なのは、貴重な文化遺産を後世に伝えることだけではありません。パレスチナの人たちに機会を提供してこの一帯が国際マーケットで勝てるような観光地にボトムアップしていくこと。もっといえば、観光客が来たときに地元にもお金が落ちる仕組みを作ることが大切です。そのためには、地域の住民を含めた形でヒシャム宮殿を盛り上げて、地元から愛される観光施設にする必要がありました」
無償資金協力事業実施の際にJICAが重視したのは地元住民との対話だ。シェルターのデザインについても地元住民と協議を重ねた。また日光や温度、湿度の変化で痛みがちなモルタル床のメンテナンスについてもパレスチナの人たちが行えるように技術移転に力を入れた。“施設を作って終わり”ではなく、現地の人が遺跡を活用し、持続的に利益を得られるような体制作りが目標だった。
「イスラエルには、世界遺産に登録されている遺跡も多く、様々な観光名所が存在します。たとえば、必ずツアーに組み込まれている人気スポットに、塩分含有量が高く浮遊体験が楽しめる湖『死海』があります。ところが、湖岸の一部はパレスチナ自治区にも面していますが、同地域の多くはイスラエルにより管理されています。死海周辺の商業施設である〝死海リゾート〟で海外の観光客がいくらお金を落としてもパレスチナには一銭も落ちません。
そこで死海に行く過程で、近くにあるジェリコに立ち寄ってもらい、ヒシャム宮殿を観光し、そこでご飯を食べたり、お土産を買ってもらったりしてお金を落とすようなサイクルを構築しようと考えています。さらには、観光地としてけっしてメジャーではないジェリコという町を通じて、イスラエルだけでなくパレスチナにも行ってみようというモチベーションを生み出したいと考えているのです」
■パレスチナ観光の未来が見えた矢先に紛争が始まった
遺跡だけがパレスチナ観光の魅力ではないという。
「エルサレムからジェリコまで車で1時間くらいです。1週間もあれば、イスラエル側、パレスチナ側のすべてが回れるコンパクトな観光地です。北部に行けば、冬に雪が積もる山岳地帯もある。一方で、海もあれば、砂漠も体験ができます」
おいしい料理も魅力のひとつ。ケバブやフムスなど、日本でもなじみの深い料理のほか、降旗さんがぜひ味わってほしいというのが、マクルーベという料理だ。
「パレスチナも、ヨルダンも、レバノンも、うちがオリジナルだと主張している料理なんですが(笑)、土鍋にお米と肉を敷いて、炊き込んでひっくり返して盛りつけた料理です。やはり、見ごたえもあるし、観光客も大喜びです。
旅行の費用としては、東ヨーロッパに行くくらいのイメージと思っていただければ。じつは昨年3月から、日本からの直行便ができて、16~17時間かかっていたのが、11~12時間で行けるようになっています」
かくも魅力的な観光地としてのパレスチナ。新型コロナウイルスの世界的な流行で観光業は大きな打撃を受けたが、2022年ごろから回復の兆しが見えてきた。
2023年2月には、日本でもパレスチナ観光の魅力を紹介する大規模なイベントを実施。パレスチナ観光遺跡庁の長官も出席し、VR(仮想現実)でヒシャム宮殿のモザイク画を再現する試みも行われた。
まさにパレスチナ観光の未来はこれからだった――。しかし、そんな矢先に起こったのが、昨年10月のイスラム組織ハマースによるイスラエル攻撃と、その報復として行われたイスラエルによるガザへの侵攻だ。後編ではこれらガザ情勢を受けたパレスチナ観光の現状について聞いた。