9月29日、アニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)の声で親しまれた声優・大山のぶ代さんが老衰のため亡くなった。90歳だった。
「10月11日にペコさん(大山さん)の訃報が流れる直前、長年ペコさんのマネージャーを務めた方から『じつは9月29日に亡くなり、葬儀など全部終わったから、これから発表します』と連絡をいただいていました。
かべさん(ジャイアン役のたてかべ和也さん・80歳没)、肝さん(スネ夫役の肝付兼太さん・80歳没)、今年7月ののんちゃん(のび太役の小原乃梨子さん・88歳没)に続くように、ペコさんまで……。もう私一人になってしまって、本当に寂しいです……」
5人のレギュラーメンバーは、じつに26年間も共に過ごし、『ドラえもん』を作り上げた“戦友”だ。いまや国民的アニメだが、放送開始時はスポ魂アニメ全盛のころで、視聴率低迷に苦しんだという。
「スタッフからは『20%を超えたら、ごほうびに海を渡った“ハ”のつくところに連れて行くよ』と言われて、きっとハワイだろうとみんなで頑張ったんですが、目標をクリアして出かけた旅行先は函館でした(笑)。でも、すごく楽しかった」(野村さん、以下同)
主人公を担当する大山さんは、仕事においては“ドラえもんを守る”という強い責任感をもっていたと野村さんは振り返る。
「劇場版『ドラえもん』では、有名なタレントさんがゲスト声優として出演することもよくあったのですが、ペコさんは彼らに対しても『あなた、この台本、ちゃんと読んでいるの!?』と厳しいんです(笑)」
妥協を許さなかった大山さんは言葉使いにもこだわり、スラングや汚い言葉を嫌ったという。たとえば「バカヤロウ」もNG。そこでメンバーが知恵を出し合い、「バカヤロウ」を崩して、ジャイアンのおなじみの台詞「バーロー」が誕生したという。
国民的アニメの座長として、大山さんには大きなプレッシャーがあったはずだが、ひとたび仕事の現場を離れると、野村さんにとっては“優しいお姉さん”だった。
「ペコさんはインベーダーゲームが好きで、空き時間ができると、新宿の録音スタジオの隣にあった喫茶店に遊びに行っていました。
二人きりの旅行にも何度も行った。ハンガリー、オーストリアではオペラを見に行き、ロサンゼルスではユニバーサルスタジオに足を運んだ。
「帰国するときは、ペコさんのご主人の砂川啓介さんが毎回空港まで迎えに来てくれるんですね。あるとき、砂川さんが私に時計をプレゼントしてくれて。理由を聞くと、『ペコはワガママだから、みっちゃんに迷惑をかけたら悪いなって思ったんだよね』って言うんです。でも、まったくそんなことはなくて、すごくかわいがってくれました」
野村さんたちにとって、家族同然の仲間が集う『ドラえもん』の現場だったが、05年に若手声優陣にバトンタッチすることになった。
「スタッフからは『新しい世代にリニューアルしたい』と聞いていたのに、翌日の新聞を見たら『加齢のため』って。それも間違いではないけど、ペコさんは『全然、話が違うじゃないのよ』って怒っていましたね(笑)」
主要キャストらでラスベガスに“卒業旅行”に行き、9月3日のドラえもんの誕生日には同窓会をやろうと誓い合ったが、実現することはなかった。
「最後にペコさんに会ったのは、’13年、私の夫(声優の内海賢二さん)のお通夜のときでした。ペコさんは夫婦で来てくださって『大変だったね』と慰めてくれたんです」
それから間もなく、15年には砂川さんによって、大山さんが認知症であることが公表された。
「ずっと気になっていたのに、一度も会うことはありませんでした。マネージャーの方が時折連絡をくださるんですが、『ドラえもんの映像を見てもあまり反応しない』『もう、みっちゃんと街であっても、わかんないかもしれないよ』と近況は聞いていたんですけど……」
そんな思いを抱えたまま、大山さんの訃報に接することになったのだ。
「ペコさんに会いたかったなあ。今でも会いたいですよ……」