三笠宮妃百合子さまの薨去によって、にわかに注目を集めている寬仁親王妃信子さまのご動向。’04年に寛仁親王邸(現・三笠宮東邸)を出られた信子さまは、ご家族とは別居状態にある。

‘12年に寬仁さまが薨去された際も、信子さまは表にはほとんど姿を見せず、長女の彬子さまが喪主を務められた。さらに、‘15年には、彬子さまが『文藝春秋』へ手記を寄せ、信子さまと寬仁さまとの確執についても明らかにされた。それから9年、先日行われた義母・百合子さまの斂葬の儀にも信子さまは出席されず、改めて家族の断絶が浮き彫りになった形だ。

しかしそんな信子さまが、本誌に対し、お素顔の家庭生活を語られたことがある。そこで語られたのは、寬仁さまや2人の娘たちと、料理を通じて心を通わせる温かな家庭生活だった。『女性自身』1992年9月15日号の「シリーズ人間」「台所大好き。」より、貴重なインタビュー内容を再掲載する。

寛仁親王妃信子さまが、このほど本を出版された。『四季の家庭料理』(光文社刊)である。

信子さまは宮家に嫁がれて今年で12年、妃殿下としての多忙なご公務をこなしながら、一方では、おふたりの女王さまの母親であり、“ヒゲの殿下”として親しまれている寛仁殿下のもっともよき理解者でもある。

その信子さまのご本には、料理に関する楽しいエピソードとともに、80種にものぼるお惣菜の作り方が紹介されて いる。

“妃殿下とお惣菜“というのはなにかとても似つかわしくないように思えるが、そこには宮家という華やかさとは裏腹に、信子さまが、日ごろ、いかに殿下やお嬢さまたちに、主婦として母としてお心を砕いておられるかがよくわかる。

ー一夏の日差しがカーテン越しに揺れる赤坂御用地内の宮邸の応接室。

信子さまは、緑と白の大きな花柄模様に、ふっくらと可愛い半袖のワンピースをお召しに……。

「お料理って、好きになりなさいと言われてもなれるものではないし、結婚する前に習うお料理でも、習ったなかから実際ふつうの生活で作ってみようと思えるものはどれくらいあるかしら。

それにお惣菜というものも若者向け、お年寄り向けとかお酒のおつまみのようなものがあったり、わが家にもいろいろなお料理の本が200種類ぐらいありますけど、それを見ていて作れるお料理を1冊の本から絞ってみると意外と少ないものです。ですから、私の本で、ああ、この本からなら20種類くらいは作れる、と思ってくださればとても嬉しく思います」

信子さまは、本を執筆された動機をこのようにお話しになられた。

それに、この本には寛仁殿下が5年前、4ヵ月で11キロの減量をなされたときの“おなかの空かないダイエットメニュー”ものっている。信子さまが医師と相談されて作った献立だ。

また去年とこの夏、多くの人々が心配した寛仁殿下のご病気。

食道ガンと闘病されている殿下の傍らで、妃殿下としての信子さまのご心痛はいかばかりであったろうか。去年、殿下の闘病中のお食事として、1日に6回のお食事を召し上がる殿下のために、信子さまは「6回食」のメニュー作りにも取り組まれた。1週間分でも42種類の献立、しかも栄養のバランスを考えながらのものだ。

そのときの妃殿下のご苦労や、殿下との温かなやりとりも紹介されている。

「本当はどんな料理が得意かと言われましたら、私は冷蔵庫のなかを見て、残り物で作るお料理が得意だと思います。

子どもたちが朝から今日はお休みだから何ができるかしら、なんてわくわくしていると嬉しくなってまいります」

妃殿下はやさしいお母さまのお顔になられた。

■ひじきを戻しすぎて、2日間はひじき料理ばかりだったことも

「私の里の母は、祖父や父の仕事の関係で家にいないことが多かったものですから、母は私たち兄弟6人が仲よく暮らせるようにといつも念じておりました。私自身、母親像というものに夢がございまして、母親になったら、いつも子どものために家にいてあげたい、こんな料理を作ってあげたいと思っておりました」

信子さまのお父さまは、九州・福岡にある麻生セメント株式会社元会長・麻生太賀吉氏、お母さまの和子さんとの間の3男3女の末のお嬢さまである。

和子さんの父親は戦後最大の宰相といわれる故・吉田茂氏で、つまり信子さまは吉田首相の孫娘にあたられる。

渋谷のお屋敷に住まわれていた幼いころ、信子さまの召し上がるお食事は厨房の専門の料理人が作っていた。

「お弁当ひとつにしても、本職が作るのですから誰のお弁当よりもきれいだし、味もおいしかったと思います。けれども、やはり、学校のお友達の、お母さまが作られた三角形にならないようなオニギリがけっこう羨ましいと思ったものです。それがもとになっているのでしょう。子どもが、ただいま、と帰ってきたら『お帰りなさい、サンドイッチがここにあるわよ』みたいなことが言えたらいいなという気持ちが私にはありました。私は末っ子でしたので、母とともに過ごす時期がいちばん少なかったものですから、できるなら、そんなお母さんになってみたいと…」

そんなちょっびり寂しかったお育ちの信子さまだから、宮家に上がられてからは、母としてまた、主婦としてひとつの理想をお持ちになってきた。

しかし、信子さまとて一朝一タにお料理の腕を上げられたのではない。宮家に嫁がれた当時は失敗の連続だったとお笑いになる。

あるときのことだった。ひじきを戻そうと目分量でボウルにひじきを入れ水を加えてほこりが入らないように蓋をした。2 階で用事をすませ厨房に下りてみると、蓋が盛り上がっているではないか。何事かと思って蓋を取ってみると溢れんばかりのひじき。

「もう、びっくりいたしました。みんなで2日がかりでいただかなくてはいけなかったの。わかめも増えてしまって驚いたことがあります。ひじきもわかめも戻った状態のものしか見たことがありませんでしたから」

そんな信子さまの家庭料理を、殿下は温かく見守ってこられた。

「プロの料理人の味は一定だが、ノンチの味は微妙に毎回違うからいいね」

殿下は、箸を置きながら、こうおっしゃられたことがある。外でお金を払って食ぺるプロの味もおいしいが、家庭料理は、たとえごちそうでなくても「うちの料理がいちばんおいしい」と、家族に言ってもらえることが、主婦にとっては最高の「日々の張り合い」だと、信子さまは殿下のそのときのお言葉を覚えていらっしゃる。

初体験でびっくりされたのは、宮家独特のお正月料理のなかのキジ酒である。

「キジ酒を作るのに、キジの羽と皮を剥いで、胸の部分とももの部分をパラします。

作り方はうかがっていたのですが、新婚最初のお正月で、宮家に上がったばかり。最後は半泣きでむしったものです」

それを生のまま塩漬けにして蒸したのちに軽くあぶり、薄切りにして杯に入れ、熱燗を注ぐ、というのがキジ酒。

「私が半泣きになっておりましたのが宮さまのお耳に入りお知り合いの方にお願いしてくださったのか、翌年からは羽をむしったものをいただくようになりました」

妃殿下は、新婚時代を懐かしんでおられるようだった。

■青山通りにあるスーパーマーケットや、以前は築地の魚河岸にも足を運ばれて…

御所の庭には家庭菜園がある。本来は夏の食べ物だったキュウリやトマトが、ビニールハウスのおかげで冬にだって食べることができるようになった。それが当たり前の生活になってしまったことに気づかれた信子さまがお作りになったものだ。

昨日も菜園の草むしりをなさったのだと、信子さまは楽しそうだった。でも、それは信子さまのお楽しみばかりでなく、ふたりのお子さまに対する教育でもある。

「うちの子どもも、苺やトマトがいつでもいただけると思っております。トゲトゲした曲がったキュウリや、緑のトマトがあることを知ってくれたり、実をならせるまでには消毒したり草むしりしたり、作る過程があるということをわかってくれればいいと思いまして。私が草むしりをしていますと、蚊に刺されるのが嫌なのに、自分たちもしなければと思うのでしょう、一緒に手伝ってくれます」

信子さまは外で買い物をなさることもある。青山通りにあるスーバーマーケットや、以前は築地の魚河岸にも足を運ばれていた。

「台所に立ってまず考えるのは、どういうふうに料理していけば早くおいしく、最後までムダなくいただけるかということです。お魚を1 尾いただいたときなど嬉しくて、わくわくいたします。鯛が1 尾あれば、腹の脂ののった部分や背の部分をお刺身にして、頭やあらはお煮つけにいたしましたり、煮こごりに。尻尾のつけ根のあたりは、パサパサしているので、ひと手間かけてそぼろにしておきます。朝がゆと一緒にいただいたり、お弁当に入れたり、立派な一品になります。

ときどき中落ちにわざと身を残すように下ろして、あら塩をふり塩焼きにして、ちょっとお行儀は悪いのですが、両手で持っていただくのも、とてもおいしいものです。

宮家に上がってほんとうに嬉しかったことのひとつに、清掃局の収集車の方に、『大人数なのに、生ゴミが少ないですね』と、ほめてもらったことがあります。いただける部分を捨ててしまったり、残飯を出したりするのは恥ずかしいことだと、里におりますとき料理人によく言われておりましたから」

そうおっしゃってから信子さまは、クスッとお笑いになってつけ加えられた。

「ケチなんでしょうね」

平成2年の暮れのことだった。旭川でのお嬢さま方のスキー合宿を終え、ご家族で食卓を囲んでおられた殿下が、突然、

「飲み込んだとき、なんかひっかかるなぁ」

胃の上のあたりを押えながらおっしゃった。

瞬間、信子さまは不吉な予感にとらわれた。年が明け、殿下は病院での検査を受けられた。

殿下のお帰りを待っておられた信子さまの元に電話が入った。殿下からだった。

「俺だけど、食道ガンだそうだ」

「えっ、冗談はおやめになって!」

ご結婚まもなく、信子さまはお父さまを食道ガンで亡くされていらっしゃるだけに、そのときのショックはとても言葉では言いつくせなかった。

去年1 月、8 時間20分に及ぶ大手術の結果、殿下はご健康を回復されたが、さらにこの6月、再度8時間30分にわたる手術をお受けになったのだった。

最初の術後、闘病生活に入られた殿下を支えたひとつに、信子さまが腕をふるわれた料理があった。術後10日めからは流動食を召し上がれるようになった殿下に、25日めから本格的な「6回食」が始まった。

1日6回、8時、10時、12時、3時、6時、8時に食事を召し上がるというものだった。病院で出されるメニューをごらんになりながら、信子さま退院後、殿下が宮邸で召し上がる「6回食」のメニュー作りに取りかかられた。

栄養士や執刀医に1日のカロリーや注意したほうがいい食品などをお聞きになり、信子さまは何冊もの術後の食事に関する本も読まれた。

殿下のお好きなもの、喉の通りのよいもの、病院で召し上がれなかったものをリストアップし、カロリー計算、植物性・動物性蛋白質、ビタミンの配分などにお気を配られている信子さまを見て、殿下はやさしくお声をかけられた。

「ノンチ、あんまり無理するなよ。毎日6回メニューを考えていたら息切れするぜ。俺は山屋(注/登山家のこと)だから食事など気にしない。病院形式でいいよ、先が長いんだから」

「でも、1週間やってみるわ。もし無理だったらお言葉に甘えるから」

3月3日の雛祭りの日に退院なされた殿下に、信子さまは6回食を実行なされた。1週間分のメニューを表にして厨房に張り、ひとつの材料でまとめて3品から4品。たとえばイワシを使ってフライを作り、煮つけを作り、たたいてサツマ掲げにしたり、残ったすり身はお味噌汁のなかに入れるお団子にしておくといったように工夫もなされた。

「でも、ぜんぶ宮さまが召し上がってくださったからそれがとても励みになりました。やはり下がってくるお膳は気になりますものね。盛り付けも多すぎるといけないとか、子どもたちがご一緒しないときは小さな器にいろいろ種類を多くしたりと。でも宮さまが“うまい”とおっしゃってくださるひと言がいちばん嬉しゅうございました」

とはいうものの、朝の8時に召し上がってお膳を下げると、もう10時のお食事に取りかからなくてはならない。信子さまは一日中厨房に立ちっばなしの日も何度かあった。

「たいしたことはありませんでした、と言えば嘘になりますけど、病院の6回食のように朝出たものの半分が10時にまた出てくるというのは、もし自分が退院して家で同じようなパターンだったら、とても耐えられないと思いましたので……」

応接室のなかには、昭和天皇のお写真が飾られ、ピアノの上に美しい鉢植えの胡蝶蘭が静かに咲いていた。

■「軽井沢に出かけるときも、必ずヌカ床は持ってまいります」

信子さまの厨房は、明るく庭の最色が眺められるように工夫されている。

ご自分で厨房に立たれる信子さまの意見が取り入れられての設計だ。

「厨房は子どもたちとの、コミュニケーションの場でもあります。台所仕事をする私の手元を眺めながら、子どもたちはいろいろな質問をします」

『その魚は?』
『これは鰹よ』
『なんで、あぶるの』
『これは生のままいただくと、皮と身のあいだに虫がいることがあるから、殺菌の意味もあってあぶるのよ』

などと、お料理の材料を使いながらお子さまたちとお話ができるのも楽しみのひとつとおっしゃる。

包丁も、ステンレス製ではなく料理人の使う本格的なものが7本。ご静養先にも必ずケースに入れてお持ちになる。信子さまはそれをご自分でお研ぎにもなるのだ。

信子さまは、この赤坂御所の厨房で、殿下の主宰される福祉団体『柏朋会』のサークルのひとつとして始められた料理教室を、もう10年間もお続けになっている。

月に1度土曜日に20人ほどの障害者と健常者が参加する。材料費は千円程度。そこで、信子さまは心のこもったお惣莱の作り方を一緒になって勉強なさる。

そして、それをまとめたのが今回の『四季の家庭料理』となったのである。信子さまは“お袋の味”を大切になさっているようだった。

宮家に嫁がれたときご婚儀の道具のなかに、ご実家で使われていた40 年もののヌカ床を持ってこられたという。

「若い女性には、なかなかヌ力床は難しいらしく、混ぜるのを忘れて失敗することがございます。私も旅行が多いものですからなかなか管理できなくて。夏、軽井沢に出かけるときも、必ずヌカ床は持ってまいりまして、あちらでもおナスやキュウリを漬けますよ」

信子さまは冬になれば白菜もご自分で漬けられるのだという。

冬の暖かな一日、庭で信子さまがゴム長にエプロン姿で白菜と格闘しておられると、出入りの御用聞きのオジサンが声をかけていく。

「へえ、新しいお手伝いさんかい。偉いねぇ、若いのに。バアちゃんから習ったのかい?」

そばについているお手伝いの女性が慌てて言った。

「妃殿下、です!」

――そうそう、今年の夏もご静養先で、妃殿下はおいしいお漬け物を漬けておいでだろうか。

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