「三浦友和さん(73)が映画『遠い山なみの光』で、カンヌ国際映画祭へ参加しました。友和さんの“ハレの日”に際して、実は百恵さん(66)も南フランスへ同行していたそうです」(芸能関係者)

デビューから53年で初めてカンヌ国際映画祭に出席した友和。

百恵さんと一緒に南仏を訪れるのは実に48年ぶりだ。

「百恵さんは’77年5月に主演映画『春琴抄』の上映のため、カンヌ国際映画祭に出席しています。友和さんは同作の相手役でしたが、映画祭には参加していませんでした。

当時、カンヌの街を着物姿の百恵さんが練り歩き、大きな注目を集めていました。またテレビ局の取材を受け、上映前の舞台挨拶も行ったそうです。

そしてその3日後に友和さんと合流し、カンヌ近郊にあるサン=ポール=ド=ヴァンスという村で『江崎グリコ』のCM撮影を行いました」(前出・芸能関係者)

サン=ポール=ド=ヴァンスは石畳の小さな路地や城壁が魅力的な中世の面影を色濃く残す美しい村だ。かつて、画家のシャガールが住み、ゴッホも訪れていたため、“芸術村”とも呼ばれており、今も多くのギャラリーがある。

撮影時には2人の仲むつまじい姿も目撃されている。

「CMでは2人が美しい街を練り歩く姿が流れていました。

雑誌『近代映画』’77年8月号によると、友和さんが撮影のため高さ20mの城壁に上った際に、バランスを崩すそぶりを見せたそうです。百恵さんが『アッ、あぶない!』と叫ぶと友和さんは、すかさずウインク。友和さんが百恵さんをからかったのだといいます。

また街の中央にある噴水では、ローマにあるトレビの泉をまねて、2人でコインを後ろ向きで投げ入れたそうです」(前出・芸能関係者)

友和との南仏旅行は百恵さんにとって大切な思い出だったようだ。

「百恵さんが初めてフランスを訪れたのは’73年で14歳のときだったそうです。そのときはホームシックになってしまい、フランスの街をあまり好きにはなれなかったといいます。

しかし友和さんとのCM撮影などで訪れるうちに、街並みが美しく見え始めて、印象が変わっていったといいます。今では『フランスがとても好き』と語っているそうです。趣味のキルトでは、作品のタイトルには必ずフランス語を併記し、フランスで購入したリボンをキルトに利用したこともありました」(前出・芸能関係者)

■百恵さんがカンヌに行かなかったワケ

百恵さんは友和の雄姿を間近で見届けたのだろうか。

「あくまで主役は友和さんですので、自らが注目されることを避けて、映画祭の会場であるカンヌには行かなかったといいます。

南フランスで2人だけの時間を満喫したようです」

友和は著書『相性』(小学館)で《妻と私の共通の楽しみは、「旅行」です》と明かし、《夫婦で共通して好きな場所は、国内外問わず、歴史を感じさせる風景と美術館です》と述べていた。“芸術村”を再訪していたのかもしれない。

48年ぶりに夫婦水入らずの南仏旅行が実現したのには理由が……。

「実は、友和さんのご両親が’21年と’22年に相次いで亡くなったのです。

百恵さんは’06年ごろから介護の勉強を始めて、病院への付き添いから身の回りの世話まで献身的に行っていました。

’11年には義理の両親の介護のため自宅をリフォームし、一部をバリアフリー仕様に。

’20年ごろに義理の両親が介護施設に入ってからも、頻繁に面会に通っていたと聞いています。

友和さんも、自分の時間を削って介護してくれる百恵さんに感謝の言葉を伝えていたそうです。

旅立たれた直後は深い悲しみに包まれていたそうですが、時が過ぎ、2人で旅行に行くようになったといいます」(前出・芸能関係者)

「株式会社ねこの手」代表で、介護コンサルタントの伊藤亜記さんはこう語る。

「介護していても、施設を一時的に利用するショートステイなどを使って、旅行することはできますが、“いない間に何かあったら”と心配して、長期間の旅行をためらう人も少なくありません。

介護を支えてくれた感謝を込めてなかなか行くことができなかった海外旅行に連れていくことは夫婦の新たな絆になることでしょう」

友和にとって両親の存在は大きかった。

’23年11月に友和が旭日小綬章を受章した際に、’12年の紫綬褒章を受章時、自分に資格があるかと悩んでいたところ、両親が涙を流して喜んでくれたことがあったと告白。こうした経験もあり、旭日小綬章は「(亡き両親に)素直にいただきなさいと言われている気がします」と述べていた。

「両親の存在は友和さんの励みになっていたそうです。そのことを理解していた百恵さんは友和さんと両親を精いっぱい支えてきました。

友和さんが73歳になっても俳優として第一線で活躍し続け、カンヌ国際映画祭に出席したことは、天国の両親もお喜びになっていると思います」(前出・芸能関係者)

地中海に面した南仏の太陽は、48年ぶりに再訪した夫妻の笑顔と涙を輝かせたことだろう。

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