「愛子さま早く来ないかな……」
「ここから見れそう!」
JR金沢駅の兼六園口に続々と人々が集まっていたのは、5月18日午前のこと。ロータリーに設けられたスペースは、あっという間に人でいっぱいになり、警察官が別の場所に誘導している。
「愛子さまは手を振りながら優しくほほ笑まれていて、それを見て『わぁ……きれい』とうっとりする若い女性がいたことも印象に残っています。まず初日は金沢市内の石川県庁で復興状況などについて説明を受けた後、七尾市へと向かわれました」
金沢市から約70キロ離れた七尾市に向かった愛子さまは、「七尾市和倉温泉お祭り会館」をご訪問。あちこちから「愛子さま~!」という歓声が上がっていた。
「お祭り会館の前や沿道には、かなり住民が集まっていて、天皇皇后両陛下の奉迎にも匹敵するほどの熱量だったと思います。奉迎者の皆さんは、“明るい気持ちになった”“励まされた”と感動していました」(前出・皇室担当記者)
その後愛子さまは、同市内にある仮設住宅の万行第2団地へ。集会所やその外に集まった被災者たち一人ひとりに、丁寧に声をかけられていた。
住民の谷田部五典さん(84)と妻の美智子さん(83)は家族で出迎えていたが、足の不自由な五典さんは車いすに座っていた。愛子さまはひざを折って、五典さんの目を見つめながら、
「つらいことはないですか」
などと声をかけられた。優しいお言葉に、五典さんは目を潤ませていた。美智子さんはこう話す。
「昨年9月に豪雨のために訪問を取りやめられていましたが、それが今回本当に来てくださって……。愛子さまの思いや決意が伝わってきたように感じます」
愛子さまは日本赤十字社(以下、日赤)の勤務でボランティア支援にも携わられているが、18日には「金沢大学ボランティアさぽーとステーション」の学生らとご懇談。
19日に訪れた志賀町でも、ボランティア受付会場をご覧になったほか、同町内でボランティア活動を続ける「災害支援ユナイテッドコッカーズ」の代表を務める境圭代子さん(45)らと懇談されている。境さんによれば、愛子さまはかなり専門的な質問をされていたという。
「住宅が公費解体になると、中のものはすべて処分される現状があります。私たちの団体では、依頼主と緊密に連携することで残すものを残せる仕分け作業を行っているとお伝えすると、『チームワークがよいですね』とおっしゃっていました。ほかにも、団体の活動内容についてかなり熱心に質問していただきました」
2日間のご訪問の“成果”に、両陛下も安堵されていたと、宮内庁関係者は語る。
「初の被災地へのご訪問でしたが、被災者を勇気づけ、復興へ向けた取り組みを支援するという目的を果たせたと、両陛下も安心されたと伺っています。
さらにはご公務と日赤でのお仕事の双方で関わるボランティア支援についても大きな学びがあったと、愛子さまご自身も手ごたえを感じていらっしゃるようです。さらに印象に残ったのは、ある“約束”をなさったことでした」
愛子さまは志賀町から離れる際、案内役を務めた稲岡健太郎町長に、
「今後も、街の復旧や復興を見守りたいと思います」
と話し、そして続けて、
「また来ます」
とおっしゃったという。だが前出の宮内庁関係者によれば、最後の一言は皇室では“禁忌”とされているとし、こう明かす。
「両陛下はご公務先で“また来ます”とはおっしゃらないのです。
しかし、困難から立ち上がろうとする被災者に寄り添いたいという強い思いから、愛子さまはあえて、被災地に再訪のお気持ちを示されたのでしょう。相手の立場に立って、物事を捉える、“共感力”を、愛子さまが備えられている証しだとも思えました」
魂を注がれた29時間にわたる被災地ご訪問から4日後――。
愛子さまが11月に東南アジアのラオスを公式訪問される方向で調整が進んでいると宮内庁が発表したのだ。
■ラオス公式訪問で世界デビューへ
愛子さまにとっては、初の海外公式訪問となるが、長年皇室番組を手がけてきた放送作家のつげのり子さんは次のように指摘する。
「驚きが広がりましたが、今年は日本とラオスが外交関係を樹立して70年を迎えます。また2023年に天皇陛下は、来日した同国のトンルン国家主席と懇談したとき、さらに関係を強化していきたいとお話しになっています。
今年は終戦から80年。両陛下は7月にモンゴルを国賓として訪問し、抑留された人々に祈りを捧げられる予定です。愛子さまが訪れるラオスにも、終戦間際の1945年3月に日本軍が進駐しています。やはり天皇ご一家は、今年の国際親善において、“平和を祈る旅”を一つの軸となさっているように思いました」
皇室の“禁忌”を超え、能登の人々を癒すために再訪を宣言された愛子さま。