映画『遠い山なみの光』で、デビュー53年目にして初めてカンヌ国際映画祭に出席した三浦友和(73)。正式上映後は共演者らと立ち上がり、嬉しそうに顔をほころばせていた。

晴れの舞台となった南フランスには、’80年11月に結婚した妻・百恵さん(66)の姿もあったようで――。

「友和さんが映画祭に出席するにあたり、百恵さんも南フランスへ同行していたそうです。ですが、主役の夫を差し置いて自分が注目されてしまうことを避けるため、映画祭の会場であるカンヌには行かなかったといいます。南フランスで2人だけの時間を満喫したようです」(芸能関係者)

そんな百恵さんにとって、フランスは思い出深い地だという。’77年5月に主演映画『春琴抄』でカンヌ国際映画祭に参加し、その3日後にはカンヌ近郊にあるサン=ポール=ド=ヴァンスという村で友和と一緒にCM撮影を行ったこともあった。

「百恵さんが初めてフランスを訪れたのは、当時14歳だった’73年のこと。そのときはホームシックになってしまい、フランスの街をあまり好きにはなれなかったといいます。ですが友和さんとのCM撮影などで訪れるうちに、街並みが美しく見え始め、愛着が湧くように。今では『フランスがとても好き』と語っているそうです」(前出・芸能関係者)

百恵さんの“フランス愛”は、40年近くライフワークとなっているキルト制作にも反映されているという。

’19年に刊行された百恵さんのキルト作品集『時間(とき)の花束 Bouquet du temps』(日本ヴォーグ社)も、書籍のタイトルにフランス語が添えてある。結婚してから制作を始めたという70点ものキルト作品などを紹介した写真集で、百恵さん本人の近影も掲載された一冊だ。発売から6年経った今もコンスタントに売れ続けており、累計20万部を超える“異例のロングセラー”となっている。

「趣味のキルトでは、作品のタイトルには必ずフランス語を併記し、フランスで購入したリボンをキルトに利用したこともあったといいます。作品集のなかでは、大好きなパリのエッフェル塔を訪れた思い出を、ビーズバッグにして表現していました」(前出・芸能関係者)

引退後はプライベートについてほとんど発信してこなかった百恵さんだが、作品集を発表した理由について同書のあとがきでこう明かしていた。

《日々の軽い雑談の中で、夫にそんな話(※キルト作品集刊行を勧められたこと)をしたところ、「30年以上続けてきたことだし、還暦のいい記念になると思う。やってみたらいいんじゃない」という言葉が背中を押してくれました》

今年3月24日から29日にかけて開催されたキルト展でも、新作を出品していた百恵さん。並々ならぬ創作意欲の源は、愛する家族の存在だという。

「百恵さんがキルトと出会ったのは、子どもの入園・入学での針仕事がきっかけだったといいます。作品集には子供たちの手提げバッグや体操着袋なども掲載されており、長男・次男それぞれに工夫が凝らされたキルティングで、愛の深さを感じる作品でした。また作品のなかには、友和さんが作った陶器の台座に、百恵さん作のランプシェードを組み合わせた“夫婦の合作”もありました」

歌手、女優として押しも押されもせぬスターだった百恵さんは、キルト作品の制作にも高いプロ意識で臨んでいるという。またキルトだけでなく、“もうひとつの針仕事”としてビーズ織りにも取り組んでいる。百恵さんを指導している佐古孝子さんは、’19年8月に本誌の取材に対して、百恵さんの努力家な一面をこう明かしていた。

「百恵さんが、私の教室に通いたいと言ってくださったのは、もう15年ほど前のことでしょうか。月に1度のペースでマンツーマンでお教えしています。

彼女は時間にも几帳面で、1度も遅刻したことがないのです。

最初はアクセサリーをいくつか作り、慣れたころからハンドバッグなどに挑戦されるようになりました。特に色彩感覚に優れているのと、キルトもそうなのでしょうが、“自分が作りたいもの”よりも“作ってあげる相手が喜ぶもの”を優先しているような方です」

ある手芸誌ライターは言う。

「お稽古にも通いながら真面目に取り組んできた百恵さんは、いまではプロの腕前です。作品のなかには家族を思う気持ちを込めたものも数多くあり、長い創作活動を通じて “家族の歴史”を紡いできたのでしょう」

夫婦水入らずの南フランス旅行も思い出の1ページとして、百恵さんの作品に加わるだろうか。

編集部おすすめ