「歌舞伎の稽古と撮影を含めると1年半、今までの役者人生の集大成、培ったすべてをぶつけた作品です」
と、完成披露報告会で語った吉沢亮(31)が主演を務める、映画『国宝』(李相日監督・東宝系)が、6月6日の公開後10日間で観客動員数85万人、興行収入11.9億円を突破。平日でも満員の映画館が続出するなど大ヒットとなり話題を呼んでいる。
任?の世界に生まれながら、歌舞伎の才能を見いだされ、芸に身を捧げる主人公・立花喜久雄を演じる吉沢と、喜久雄の親友でライバルである名門の御曹司・大垣俊介を演じる横浜流星(28)の2人が、歌舞伎の演目『藤娘』などを実際に演じ舞う迫力と、女形としての美しさに目を奪われ、リピートする人も多いという。
「本当に亮(吉沢)と流星(横浜)は、歌舞伎の所作や演目を覚えたうえで、“俳優として役を演じる”ための千本ノックのような厳しい状況を、最後まで投げ出さずによくやりとげましたよ」
そう語るのは、歌舞伎役者の四代目中村鴈治郎さん(66)。人間国宝の四代目坂田藤十郎を父にもち、2019年には紫綬褒章を受章した歌舞伎界の重鎮だ。本作では歌舞伎指導を担い、名門の歌舞伎役者・吾妻千五郎役で出演もしている。
映画の製作に深くかかわった鴈治郎さんが、これから映画を楽しみたい人のために『国宝』と歌舞伎に関するトリビアを教えてくれた。
【トリビア1】『国宝』は原作の段階から鴈治郎さんが協力していた
「10年ほど前、出版社を通して原作者の吉田修一さんから『歌舞伎をテーマにした作品を書きたい』という相談を受け、それなら『舞台袖で邪魔にならずに安全に見学するために黒衣を作ったほうがいいね』と衣装さんに仕立ててもらい、吉田さんに贈りました」(鴈治郎さん、以下同)
吉田氏は、黒衣で3年にわたり楽屋や舞台袖で鴈治郎さんの付き人として仕事をしながら、小説『国宝』の構想を練っていったのだ。そして小説発表後、李相日監督から映画化の話がきたという。
■疲れて姿勢が悪くなるたび「肩甲骨!」と声をかけ
【トリビア2】吉沢亮と横浜流星は1年以上日本舞踊の稽古を重ねた
観客が口を揃えるのは、吉沢と流星の女形の所作の素晴らしさだ。
「俳優が歌舞伎役者を演じるには、日本舞踊をたたきこまなければいけないと、舞踊家の谷口裕和さんに舞踊指導をお願いしました」
吉沢も「稽古はすり足、歩き方から座り方、立ち方、扇子の置き方拾い方、本当に初歩の初歩の、すり足だけで2~3カ月」と、初日の舞台挨拶で語っている。
【トリビア3】鴈治郎さんが説いた“背中を美しく見せる秘訣”
「指導というと演目についてのことだと思われますが、僕は歌舞伎役者の楽屋での過ごし方や、舞台の小道具、客席の雰囲気、日常も含めて、歌舞伎をご存じの方にも違和感なく見えるように、歌舞伎のシーン全般にも責任を持ちました。
女形を演じる2人には、とにかく、肩甲骨を寄せて背すじをまっすぐに保ち『背中をきれいに見せなさい』と伝えました。でも疲れてくると、2人とも首が前に出てしまい、姿勢が悪くなってしまう。
■『藤娘』『二人道成寺』などを艶っぽく舞う美しさもそのたまもの!
【トリビア4】化粧の“赤いタッチ”のひと手間で美しさを際立たせて
「歌舞伎界では、子どものころは、人に化粧をしてもらいますが、絵心が生まれて大人になると自分でメークをします。自分の顔のことは自分がいちばんわかりますし、メークの仕方は、役者それぞれ違います。映画で亮が赤いタッチを入れるのは私流で、鼻すじを立て、より美しくなるようにしています」
【トリビア5】歌舞伎界でも直系がつながっている家は少ない
御曹司の俊介と部屋子の喜久雄。その後継問題を軸にストーリーが展開していくが――。
「歌舞伎の世界は世襲、世襲とよくいわれます。うちは直系四代目ですが、意外と直系で受け継いでいる家は少ないです。芸養子という言葉があるんですよ」
芸養子とは、素人の子弟でも才能や見込みがあれば、歌舞伎の家の芸を継ぐこと。
「世襲にせよ、芸養子にせよ、名跡を襲名した後でも、お役をいただけないこともある厳しい世界です」
■徳兵衛にとってお初は遊女でなく一人の惚れた女性
【トリビア6】カギを握る演目『曽根崎心中』は鴈治郎さんのお家芸
喜久雄と俊介の運命を大きく左右する演目が名作『曽根崎心中』だ。
「江戸時代に近松門左衛門が初めて書いた心中もので、遊女のお初と徳兵衛が純愛ゆえに心中する悲恋。歌舞伎では昭和28年(1953年)に原作を書き直して初演し、祖父の二代目中村鴈治郎が徳兵衛を、父の二代目中村扇雀(のちの四代目坂田藤十郎)がお初を演じて、父の当たり役となり、うちの“お家芸”とされています」
【トリビア7】代役は歌舞伎役者が一皮むける大チャンス
喜久雄と俊介の一人が『曽根崎心中』のお初の代役に抜擢されてスターへの階段を上っていく。実は鴈治郎さんも21歳のときに、『曽根崎心中』の徳兵衛に祖父の代役として抜擢されていた。
「歌舞伎に休演はありません。
【トリビア8】『曽根崎心中』のお初の“お歯黒なし”にこだわった理由
「歌舞伎では、お初は遊女なので、通常はお歯黒をするのですが、父の演じるお初の恋人・徳兵衛を演じるなかで、『徳兵衛にとりお初は、遊女ではなく一人の惚れた女性だ』と感じていました。また映像だとお歯黒は目立ちますよね。そこで映画では『お歯黒なしでいきたい』と、李監督に提案しました」
【トリビア9】喜久雄の楽屋の化粧前は鴈治郎さんの私物
「歌舞伎俳優の在り方をリアルに伝えるために協力は惜しみませんでした。喜久雄の楽屋に置いてある化粧前をはじめ、すべて私の私物をお貸ししました」
【トリビア10】鴈治郎さんをうならせた2人に託された“願い”
横浜が「吉沢君の踊りをみたとき、すごく柔らかくて艶っぽい」と語れば、吉沢は「(横浜は)本当に形がきれい」と話すなど、互いに切磋琢磨し、喜久雄と俊介を演じきった。
「北風と太陽でいうなら2人とも太陽だけどタイプが違う。この2人だからこそこれまでの作品になった。これからも日本舞踊を続けてほしいとの願いを込めて、扇屋さんに頼んで日本舞踊で使用する仕舞扇を1本ずつ贈りました」
最後に映画の見どころをきくと、
「全部です。まばたきする間も惜しんで堪能して」と、鴈治郎さんは、歌舞伎の舞台へ向かっていった。