今年、芸能生活40周年を迎えた中山秀征さん(57)。中山さんといえば、過去には『DAISUKI!』(日本テレビ系)、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)、『ウチくる!?』(フジテレビ系)、現在は『シューイチ』(日本テレビ系)など、数々の人気番組のMCを務めてこられました。

長きにわたり芸能界の第一線で活躍できた要因は「人間関係を大切にしてきたからだ」と中山さんは言います。現在発売中の『気くばりのススメ 人間関係の達人たちから学んだ小さな習慣』(すばる舎)の著者でもある中山さんに、人から好かれることを望んでやまないインタビューマン山下が、気配りの極意をお聞きしました。

――最近『気くばりのススメ 人間関係の達人たちから学んだ小さな習慣』というビジネス本を出されたんですよね。

ビジネスマンの方と話していると、昨今コミュニケーションを取るのが非常に難しいと。すごく頭もいいし、仕事もできるんだけれども、会話が苦手だという問題が結構あるみたいなんです。同じ社内にいても、LINEでやりとりして、近くにいるのに声をかけないみたいな。

――最近はそんな時代になっているんですね。

はい。それはなぜかというと、気の使いあいというか、「今話しかけたら迷惑じゃないか」「じゃあLINEで、相手のよきタイミングで見てもらおう」というのが昨今の時流です。それだと人とのコミュニケーションは取れないですよね。「顔を見て話す」「膝を突き合わせる」とか、そういうのが昨今なくなってきているんです。

その点、僕らの仕事はそういう部分で言うといちばんアナログで、人と人でやらない限り仕事ができないですから。

そういった今まで僕が芸能界で培ってきたコミュニケーション技術を、皆さんにお伝えできたらなと思い、今回本を書かせていただきました。

■スタッフの“行きつけ”に飲みに行く石原裕次郎さん

――芸能界で、中山さんはどんなふうにコミュニケーション技術を学んだんですか?

1994年のドラマ『静かなるドン』(日本テレビ系)をやっている時はいろいろと学びました。特に日活(老舗の映画製作会社)制作のドラマだったんで。主演の自分が座長になって、本当に打ち上げをいっぱいやりましたね。これは石原裕次郎イズムなんですよ。

――石原裕次郎さんは打ち上げを頻繁にやる方だったんですか。

そうです。みんなで酒飲んで、仲間になって同じ釜の飯を食うというのが石原プロ流なんです。だから本当にマネ事ですけども、ドラマ1話終わるごとに打ち上げをして、20回ぐらいやったんじゃないですか。

――撮影期間中に20回の打ち上げは凄いですね。そこで日活のスタッフさんともコミュニケーシを取ったんですね。

日活の制作の方たちは、裕次郎さんの作品の助監督だった人が、今は監督になっていたり、衣装部の人も「これが裕ちゃんの衣装だぞ」とか。

日活といえば石原裕次郎ですから。その“残党”がいっぱいいる訳ですよ。僕は「石原裕次郎さんが好きだ」ということを言ってきたんで、皆さんは石原裕次郎を好きな僕のことを、好きなんですよ。

例えば衣装部の方に僕が「『静かなるドン』の漫画では白いコートがあるんだけど、あれはなかなか売ってないんで作れるかな?」って言ったら「やるか」って。漫画と同じコートを一晩で作ってくれたり。そういうのも普段からコミュニケーションを取っていたので仲間が動いてくれる。

これも石原裕次郎さんの本を読んで学んだんですけど、裕次郎さんは小さい打ち上げもよくするんですって。どういう打ち上げかっていうと、スタッフを高級なクラブやレストランに連れていくと、いつもの自分じゃなくなって飲みづらい人がいっぱいいて。だからどうしたかっていうと、スタッフのみんながいつも行っているところに、裕次郎さんが行くんですよ。

――裕次郎さんが庶民的なお店に行くということですね。

例えば照明さんが必ず飲みに行っているところに石原裕次郎が来るわけですよ。そしたらお店の人だって嬉しいし、照明さんの顔も立つじゃないですか。

自分のフィールドに連れて行くより、接待したい人のフィールドに行く。それもマネしましたね(笑)。

■空海にも通じる志村けんさんの教え

――先人がやっていたことを参考にするというのは大事ですよね。

後輩にアドバイスするときに「俺がこうやってきたから、やれ」じゃなくて「俺も人から聞いた話なんだけど」というのを僕はすごく使っているんですよ。

――自分の経験則を話すより、人の言葉を借りる方が、角が立たなくていいですね。

志村けんさんから学んだこともそうで、志村さんは本当に遅刻をしないんですよ。「なんで遅刻しないんですか?」って僕が聞いたら「『すいません』で始まる1日が嫌なんだよ。だから俺は絶対に遅刻しないんだ」と。

それで僕が「志村さんは昔からそうだったんですか?」って聞いたら、「違うんだ。これは、当時すごく忙しい時の沢田研二さんから聞いたんだ」って。「『TOKIO』や『勝手にしやがれ』が大ヒットして多忙で寝てないのに、そんな沢田さんがいつも現場に来るのが早いんだよ。『なんで沢田さん、早いんですか?』って聞いたら、沢田さんが『すいませんから始まる1日は嫌なんだ』って。

かっこいいだろ、だから俺もやってんだよ」と。志村さんですら、人からの話を僕に教えてくれたんです。

――志村さんほどの大ベテランの方でも先輩から学んだことを伝えてたんですね。

もっと遡れば、あの空海ですら、それを使ってるわけですよ。「俺が言ってるんじゃない」と。「これはお釈迦様が言ってるんだ」と。1200年前ぐらいから、この手法は使われてたんです。

――そんな前の時代から先人の言葉を借りて伝えるというのはあったんですね。

そうです。ただ共通するのは、その先人が確固たる人だということです。

1200年も前から使われていた信頼と実績の手法を、先人から学んでいたからこそ、浮き沈みが激しい芸能界で40年もの長きに渡り、中山さんは第一線で活躍できたんですね。

(取材・文:インタビューマン山下)

【PROFILE】

1968年、香川県生まれ。

1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人、ライター、「山下本気うどん」プロデューサー、個人投資家、ファイナンシャルプランナーとして活動中。

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