「ショックでした。僕はね、彼女は自分で命を絶つ人ではないと思うんです。

事故だったのではないかなと……。

体調が悪いことが多かったから、僕がマネージャーだったときも、まったく連絡が取れないときがあったんですよ。午前中から次の日まで連絡が取れないときもありました。ようやく連絡が取れたら、本人は“薬が効きすぎちゃって”と言っていました。睡眠導入剤だったのでしょうね」

そう語るのは、遠野なぎこさん(45)の友人で一時期マネージャーを務めたこともあるAさんだ。

7月3日、東京都豊島区内にある遠野さんの自宅マンションから身元不明の遺体が発見された。

「彼女の自宅マンションに救急車や消防車が駆けつけるのを近隣住民らが目撃しています。異臭など変わった様子はなく、警察によれば事件性もないということです。

ただ、遺体の状態から死後数日が経過しているとみられ、連日の暑さのためか遺体の腐敗が進んでいたと報じるメディアもありました。昨年4月から彼女が飼い始めたラグドールの愛猫・愁くんは無事に保護されたことが確認されたとのことです」(スポーツ紙記者)

遠野さんは今年1月末をもって事務所との業務提携を解消し、《一人きりでやっていきます》と“完全フリー宣言”をしたばかり。彼女の公式ブログにより、6月26日にはうつ病と診断されたこと、そして訪問看護を受けることが伝えられた。しかし、翌27日に“鶏肉の照り焼き”を調理する動画をアップしたのを最後にSNSの更新は途絶えていた。

遠野さんは6歳で子役として芸能界入り。19歳のとき、連続テレビ小説『すずらん』でヒロインに選ばれ、人気となったが、私生活では3度の離婚を経験している。

また、15歳から摂食障害を患っていたことを公言。そもそも『すずらん』も休養後の大役だったと明かすのはテレビ局関係者だ。

「10代後半で過食と嘔吐を繰り返し、“3年間の休養が必要”とドクターストップを受け、休業していたと聞きました。『すずらん』のオーディションは再起をかけた挑戦だったのです。合格して多忙な日々が続きましたが、当時も過食の症状は続いていたといいます」

遠野さんは今年4月、痩せて美しくなりたいと摂食障害に陥る主人公を描いた映画『渇愛』のイベントに登場していた。

「かねて遠野さんは母親から痩せるために“吐けばいい”と勧められ、それが習慣化した結果、摂食障害になったと話していました。その会見でも彼女は“摂食障害はいつの間にか沼にハマり、一度ハマったら抜け出せない。ずっと治療を受けてまだ苦しんでいる。私は最後の時を迎えるまで摂食障害かもしれません”と告白。

そのうえで“摂食障害の方々は世界中に大勢いるのに、みんな名乗り出ることができない。

家族の理解も少ない”と同じ悩みを抱えた人々への理解を訴えかけていました」(前出・スポーツ紙記者)

Aさんは本誌にこう続ける。

「もともと僕は『アウト×デラックス』(フジテレビ系)や『バラいろダンディ』(TOKYO MX)などに関わっていました。遠野さんは個性が強い方なので当時の所属事務所のマネージャーさんたちとは合わなかったようなんですね。そのため、その事務所の社長さんから頼まれてマネージャーとして約1年ほど直接担当することになったのです。とても濃い1年でした」

■「歩くこと自体が大変な状況だった」

Aさんにとって深く記憶に残ったのが、遠野さんが賀来千香子(63)や永島敏行(68)と共演した21年の舞台『しあわせの雨傘』公演当時の彼女の体調異変だった。

「遠野さんは永島さんとは昔から親しく、プライベートのことも相談していたと聞いたことがあります。“お兄ちゃん”と呼んでいましたね。

実はそのころからすでに彼女の体調はすぐれませんでした。足が変形していて、歩くこと自体が大変な状況だったのです」

彼女は20年ごろから足根管症候群の持病を抱えていたという。足根管症候群とは、何らかの原因で足根管内に存在する脛骨神経が圧迫されて、足底部の痛みやしびれを引き起こす病気だ。医療ジャーナリストは言う。

「一般的には足首の捻挫など外傷や動脈硬化した血管などの圧迫によって発症するといわれています。

普通に歩いていても“砂利の上を歩いているようなジンジンする感覚”がある神経痛的な症状が特徴で、運動時だけでなく夜中に痛みが発生することもあります」

遠野さんはこの病気をひた隠しにしていたというのだ。

「“現場で気を使われるのが嫌だ”と言っていました。足がとてもむくんでいましたね。くるぶしというか、足首が見えないんです。はく靴もかなり大きめでした。

僕が担当したときにスタイリストさんを変更したのですが、日常生活がつらかったのではないかと思います。撮影では足首まで隠れるロングスカートやパンツを着用していましたね。

お酒の飲みすぎも原因ではないかなと思っています。通院されていたのは知っていましたが、本人は“とにかく大丈夫だから”と。彼女は幼少期から何かにつけて母親に怒られて育ってきたので、弱音は絶対に吐かないと考えていたのかもしれません。内心ではどんなにしんどくとも役者として本番は素晴らしい演技を決める。近年ではバラエティの印象が強いかもしれませんが。

彼女は本物の役者でした」(前出・Aさん)

遠野さんは’13年、著書『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』を出版した際、本誌の取材で涙ながらに実母への思いを打ち明けていた。

「母の罪は重いです。産めばいいというもんじゃない。小学生のときはよく顔を叩かれて、青い洗面器を渡されて、鼻血がボタボタ落ちるのを泣きながら見ているしかなくて。

私が太って悩んでいるときに『吐けばいいのよ』と教えたのも母ですからね。摂食障害はなかなか治らないことを知っていて私に教えたんです。自分もそうしていて私も苦しむことを知ってて……」

遠野さんは“母の呪縛”に長年苦しんでいたのだ。

■お酒はそもそも眠れなくて飲んでいる

「僕には“彼女は母親ではなく、ずっと女だった”と話していました。学生時代、帰宅すると母親の機嫌がよかった日があったそうです。“ご飯を作ってくれる”と言ってすごく喜んでいたら、男性から電話があり、母親は豹変して出ていってしまったと……。

母親は2~3日帰宅せず、遠野さんが弟たちにご飯を作っていたと聞きました。『本当に悲しかった』と言って泣いていました」(前出・Aさん)

母親は22年に亡くなった。

葬式にも彼女は行かなかったという。

「僕がマネージャーをしていたころはふっくらしていたのですが、ときどき彼女は隠れて吐いていたのではないかなと思うんですよ。最近は直接会うことはなく、ブログではだいぶ痩せていたので心配していました。眠れなくて、飲みすぎてしまったのかもしれません。もともと度数の高いお酒を飲んでいたようなので……」

前出のスポーツ紙記者は言う。

「昨年2月、遠野さんは出演した『バラいろダンディ』で、『1.8リットルのいいちこ(麦焼酎・アルコール度数20度以上)を2日で飲む』と話していました。梅干しを入れてお湯で割るため、帰宅後すぐにお湯を沸かすのがルーティンだと明かし、出演者たちが飲みすぎを心配する一幕がありました。

昨年10月にはブログで《眠れないという日は翌日睡眠不足で体調を崩さないようにお薬を飲んで就寝します。(そもそもお酒は眠れなくて飲んでいる所があります)》とも綴っていました」

眠れない日々に苦悶し、飲酒量が増えていたのか。Aさんは言う。

「彼女には年に何回か地方で舞台があるのですが、とにかく荷物が多いんですね。トランク2個分はある。

どうやらウイスキーなどのお酒が入っているようなのです。地方公演では足の不調もあり、外で飲み歩くことはできないから部屋で飲めるようにガラガラと持っていくのです。僕が知っている限り、相当飲んでいましたね。ただ、仕事先や控室で飲むようなことは絶対しませんでした。

都内に彼女の行きつけの飲み屋さんがあって、『連れてってください』と言うといつも“ヤダ”と返されていました。でも一度だけ『じゃあ今度行きましょうね』と言ってくれたことがあって。それっきりになってしまったのが本当に残念です」

遠野さんは’13年の本誌の取材で笑顔を見せながらこう語っていた。

「需要がないとこういう本も出せなかったわけですから、私はもっともっとテレビに出て頑張らなきゃと思いますね。初めて、そう思いましたね!」

円熟味を増した今の彼女の演技をテレビでもっと見たかった――。

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