疾走する馬の上で、組み体操のようにモンゴルの国旗を持つ人を複数人で持ち上げ、行進している様子を、天皇陛下と雅子さまが楽しそうにご覧になっていた。

7月6日から13日までの日程で、国賓としてモンゴルを訪問されていた天皇陛下と雅子さま。

冒頭は11日、同国の国民的なスポーツの祭典である「ナーダム」の開会式に臨まれた場面だ。馬と人が織りなす華麗なパフォーマンスに、雅子さまは目を見張られていた。

宮内庁関係者はこう振り返る。

「この『ナーダム』は、相撲や競馬、弓の三競技を中心に行われるもので、天皇皇后両陛下はフレルスフ大統領夫妻とともに開会式などを観覧されました。外国からゲストを招くことも異例で、両陛下に対する最大限の敬意が表れているとも言えるでしょう。

両陛下は人々の心のこもった歓迎に大変お喜びになっていたご様子でしたし、何よりも雅子さまがお元気そうに一連の日程に臨まれていたことには、宮内庁内にも安堵の声が広がっていました」

というのも、モンゴルご訪問に先立ち、宮内庁内にも緊張が広がっていたからだ。特に5月下旬、今年は埼玉県で開かれた「全国植樹祭」などへのご臨席を直前で取りやめられたことなどもあり、雅子さまのご体調を不安視する報道も相次いでいたのだ。

「予定されている行事やご視察への出席が果たせないのではないかという報道もあったのです。さらには、主治医の大野裕さんが随行員に加わったことも、ネガティブな見方に拍車をかけていました」(皇室担当記者)

だが、現地での雅子さまはこうした不安を払拭するご奮闘を見せられたという。前出の皇室担当記者はこう続ける。

「歓迎の晩餐会が両陛下のお泊所で開かれたのも、モンゴル側の配慮だったと聞いています。慣例ではホスト国の施設で行われることがほとんどで、雅子さまのご体調をおもんぱかった対応だったそうです。

こうした心遣いのほか、ナーダムの開会式後には、予定になかった弓競技の観覧を雅子さま自身が現場で判断して決められたり、非常に好調なご様子でした。また大野医師については、昨年の英国ご訪問にも随行していますが、いずれも長時間の移動や現地の気候や文化に適応されるためのご判断だと伺っています。

皇太子時代の陛下が2007年にモンゴルを訪問された際、羊などの肉中心の食事や水、乾燥し寒暖差が激しい気候に、随行員や同行記者の多くが体調を崩したことがありました。雅子さまは陛下からこの話を聞き、国賓としての訪問に万全を期すため、大野医師の随行を希望されたのでしょう」

モンゴルご訪問中も、雅子さまが闘われていた“ご体調の波”。精神科医の香山リカさんは、一連のご様子を見てこう語る。

「とくに今年は、硫黄島や沖縄、広島へのご訪問で、緊張やお疲れも続いているはずです。ただ、行事を機械的にこなすのではなく、一つ一つの意義を深く考えて臨まれるのが、雅子さまのご姿勢の特徴だと思います。

モンゴルでは陛下が単独で臨まれたご視察などもありましたが、雅子さまが陛下とご一緒に臨まれた歓迎行事や慰霊碑への拝礼などのご様子を拝見していると、ご体調も安定しているようでしたし、“完璧でなくても訪問を完遂したい”という強い意欲を感じました」

■抑留者の無念に寄り添われようと…

ご訪問中、両陛下がウランバートル郊外にある日本人死亡者慰霊碑を訪れたときのことだ。慰霊碑は、第二次世界大戦後、捕虜として旧ソ連によってモンゴルに抑留され、現地で亡くなった御霊を追悼するため、2001年に建立された。

雨の中、傘を差して供花し、一分間黙?された陛下と雅子さま。その後、小高い場所にある慰霊碑の階段を下りようとしたとき、雨脚が緩み始めた。傘を閉じると、雅子さまは陛下に、

「雨がやんだようですけれども、もう一度慰霊碑に対して一礼をやりますか」

と声をかけられたという。

陛下は頷かれながら、

「もう一度会釈しましょう」

と答えられ、お二人で慰霊碑に戻り、深々と頭を下げられたのだ。前出の宮内庁関係者は、この異例ともいえる“二度の拝礼”について次のように明かした。

「モンゴルに抑留された約1万4000人は、建設作業や採石、農作業などの過酷な労働を強いられました。その死亡率は12.1%と、シベリアを含めた抑留者全体の数値よりも高いとされ、厳しい寒さや飢えによって約1700人以上が亡くなっています。

両陛下は彼らの苦難や無念に、できる限りお心を寄せようとされたのでしょう。“傘を差されたままでは十分ではない”と、とっさにお二人でお考えになったようにも受け取れました。慰霊を見守った抑留者の遺族らの胸を打った出来事だったと思います」

故郷から離れた地で倒れた魂を慰めた陛下と雅子さまの“雨中の祈り”――。その御心は恵みの雨のように、人々の心にも平和への願いを芽生えさせるはずだ。

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