歌手の藤あや子さん(64)は、その日のテレビ収録で着る着物を、自宅のフロアに広げて準備しようとしていた。事件はそのとき起こった。
「収録用にコーディネートしようと着物を広げていたときでした。ふと目を離したすきに、ドアの隙間から、侵入されてしまったんです」
その証拠写真を見ると、確かに愛猫のオレオちゃん(メス、6歳)と、マルくん(オス、6歳)が、寝そべったり、ちょこんと座っていたりと気ままに動き回った様子が見て取れる。
「自分たちのために敷いてくれたと思ったみたいで、私も『ダメでしょ!』と言ったんですけど、ゴロゴロされちゃったんです」
この着物には、猫っ毛がかなり付着してしまった……。藤さんが証拠写真をX(旧ツイッター)に上げ《キミたちこれは完全にネコハラですよ》と書き込むと、3万3千「いいね」がつき、4千以上リポストされた。
■仕事中に次々とのしかかられて……恐ろしすぎるネコハラの実態
コロナ禍以降、急速に日本全国に広まり、XなどのSNSを中心に被害報告が加速しているのが、ネコハラスメント(=ネコハラ)である。おもに家猫によって、飼い主や同居人が「何かの邪魔をされた」「妨げられた」などの行為の数々が、決定的瞬間をとらえた写真とともにSNSにアップされ、「ネコハラ」と呼ばれるようになったものだ。
X界隈で「ネコハラの発祥ではないか?」といわれている投稿をした、関東在住のコンドリア水戸さんに話を聞くことができた。
「私は妻と5匹の猫と暮らす会社員ですが、あれは2020年3月30日、コロナ禍でテレワークが普及しだした矢先の事件でした……」
コンドリアさんは仕事から帰宅すると、在宅勤務しているはずの妻の“あらぬ様子”に仰天した。
「妻は家でアクセサリー製作をしているんですが、細かい作業中にもかかわらず、背中からことくん(オス、7歳)に乗っかられて、ヘッドロックされ、マナくん(オス、10歳)には頭突きされていて……。ボコボコにされ、まったく仕事にならない状態でした」
コンドリアさんが犯行の瞬間を撮影し、《なんて過酷なテレワークなんだ…。》とXにアップ。
すると《パワハラ!!?》《次の犠牲者は誰になるのか》など数々の返信とともに《ネコハラ》というコメントが。
この投稿は評判を呼び、10万「いいね」と2.8万リポストを獲得。そして《#ネコハラ》というキーワードも知られるようになり、いつしか、ネコハラ被害が全国で投稿される流れとなったのだ。妻だけではなく、コンドリアさん自身も、ネコハラ被害に遭っているという。
「帰宅して、ちょっと休憩しようと思ってベッドでスマホを見ていると、すぐに猫がやってくるんです。そして強制的に猫吸いが始まってしまう」
この“猫吸い”というのは、飼い主などが猫の胸やおなかに顔をうずめ、においや感触を楽しむ行為だが、これを猫から強制させられてしまうのだ。
「猫にとって家に帰ってきた人間は“かまってくれる”存在なんでしょう。われわれ人間にとっては、家は“休憩”の場ですが、それを許してくれない。ネコハラは、外出していた人間に対しての猫の報復でもあると思います」
つまり、飼い主が家にいるにもかかわらず、猫をかまっていない時間にネコハラ事件が起きることになる。この仕事を邪魔されるパターンのネコハラには、次のような投稿も見られた。
《ピンポイントにDeleteキー狙ってくる。》
これは「編集やまみ」さんのポストで、ノートパソコンのキーボードをたたいていると、猫が上から手を伸ばした先が……なんと「Delete」(=削除)キー!
これには《うちの子は予期せぬところでエンターぶっ込んできます》という返信もあり、同様の手口の被害が多数報告されている。
■仕事道具ほど奴らは狙ってくる!
北海道・むかわ町の穂別診療所で勤務する、精神科医の香山リカさん(65)は、パソコンに不可思議な入力をされるというネコハラ被害を受けている。今年1月に生後半年のサリーくん(オス、現在1歳)を迎え入れた香山さん。
《いまネコがいつものように邪魔に来て、そのあとパソコンにナゾの啓示が!》
こんなコメントとともに、サリーくんが鼻を赤らめて「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔をしている写真と、彼が入力したパソコン上の暗号のような文字の写真をXに投稿した。
《3435^―w2》
コンピュータは、この文字を「アルバニア語」と判読。なぜか中国語に翻訳され、《第3435章》という翻訳結果が出た。香山さんは証言する。
「私は朝、家のパソコンに向かうことが多いのですが、『世に言うネコハラが、とうとうわが家にも来たか!』という感じでした」
そして、サリーくんが入力したこの一文の意味に、大いに悩んだという。
「考え込んじゃいましたね……。希望的には、猫の言葉で『この家に来てよかった』という意味とかだったらいいんですが、『ほかの家だったら、もっとおいしいもの食べられたのに……』という不満だったら困るな、とか」
猫が狙うのはパソコンだけではない。前出の藤あや子さんも、大事な舞台を前に、かなり「悪質なネコハラ」被害を受けている。
《舞台の初日まで1週間を切ったというのに連日悪質なネコハラを受けていて台本を読ませてもらえません。本番でセリフ飛んだらこちらの方のせいなのでお許しください》
写真を見ると、前出のマルくんが、台本の長方形の上にピタッとお座りしているではないか。
「台本のサイズが、ちょうど据わりがいいみたいで、ハマるんでしょうか。台本を置いたら、必ず座られます。これから読もうと思う隙をついて、一瞬で来ますね。街中でのスリ被害と同じで、いつも『気をつけろ!』と教訓にしているつもりなんですが……」
■ネコハラ被害者たちはなぜか笑顔で
今回、被害を報告してくれた藤さんだが、深刻なダメージのはずなのに、なぜかうれしそう!?
台本に乗られたり、洗濯済み靴下を出されるなど、数々のネコハラ被害を受けた藤さん。ついには、7月9日に発売された藤さんの最新シングル(両A面)『想い出づくり/小さな鐘の音~ラ・カンパネラ~』(ソニー・ミュージックレーベルズ、税込み1,600円)のジャケットをオレオちゃん、マルくんに乗っ取られる事態に。そんな藤さんに冒頭に挙げた、着物の上に乗られた後始末を聞いても……。
「猫っ毛ですか? たしかに座られたら着物につきますが、手で払う程度で、コロコロで吸着させて取ったりはしません。若干、毛がついたままでお仕事に行っても『あら、ついてきてくれたのね』と、仕事先でうれしくなるくらいで」
なぜかその声が弾んでいる。そういえば前出のコンドリアさんも、香山さんも、共通するのは、被害を語る口調が……うれしそう。
香山さんに、ネコハラの被害者心理について見解を求めた。
「現代人の生活は、意志と理性でコントロールされ、日々緊張の中で過ごしがちです。
でも気ままな猫にそのペースを崩されることで『努力にも限界があるよね。
そして猫の犯行のかわいらしさ、被害者の自分の哀れさもおもしろがれる。ネコハラを通してXでも他人同士がつながれるわけで、殺伐としたニュースばかりの昨今、“ネコハラ被害”は私たちをうるおしてくれるものかもしれません」
こんな被害なら受けてみたい?