8月15日、80回目の終戦の日を迎えた日本。戦後80年にあたる今年、両陛下は「慰霊の旅」として、硫黄島、沖縄、広島を訪問されている。
「沖縄への愛子さまのご同行は、両陛下の強いご意向で実現したのです。側近によると、両陛下は『私たちは次の世代に戦争の惨禍を引き継いでいきたいと考えている。愛子にも心を寄せていってもらいたいと考えている』とお話されたといいます」(皇室ジャーナリスト)
沖縄で平和祈念資料館を訪れられ、当時14歳の少年が壕の中で目撃した証言を読まれた愛子さま。
《それでこの方を壕におくとみんなに噛みつくし また大声を出すと敵に発見されるから これではいかん とオヤジ連中が相談して どうせこれは助からない といって 首をしめて 助からないから十八名を助ける ということでちっ息させたわけです》
この文章を読まれ、「本当にすごく壮絶な……」「生きていくために、こういう選択をしなければいけないという、心が痛むことだったと思います」と沈痛な面持ちで言葉を発せられていた。また、資料館で関係者と懇談された際には「想像を絶するお話を聞かせていただきました」とも述べられている。
「愛子さまは、学習院女子中等科時代には『世界の平和を願って』という題で、修学旅行で広島を訪れられた際に感じたことを作文に書かれています。
《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった》
《平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた》
そして、《「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》ともつづられています。愛子さまの平和へのご覚悟は年々深まるばかりでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
「平和」は人任せにしない。そのお言葉は、80年変わらずに、戦争の記憶に向き合い続ける皇室のあり方を感じさせる。1975年、上皇ご夫妻が沖縄を訪問された際には、「ひめゆりの塔事件」が発生した。
「過激派たちが、『帰れ!』などと叫び、上皇ご夫妻に向かって火炎瓶を投げつけたのです。その日の夜、上皇陛下は異例の談話を発表されました。
『払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません』
『心を寄せ続けていく』というお言葉通り、上皇陛下は昭和から平成にかけて、11回沖縄に足を運ばれています。平和を願うお心は、両陛下、そして愛子さまへと、しっかりと引き継がれていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)