終戦から80年を迎えた8月15日。天皇陛下と雅子さまのご臨席のもと、全国戦没者追悼式が行われた。

正午の時報とともに、愛子さまはお住まいの御所で、追悼式の出席者と同じように、戦争の犠牲となった御霊に、黙とうを捧げられていた。

「上皇さまは、沖縄慰霊の日、広島・長崎に原爆が投下された日、終戦の日を、“忘れてはならない4つの日”として示されています。上皇ご夫妻はもちろん、天皇陛下と雅子さま、愛子さまは、必ず黙とうされます。

2歳のときに、天皇陛下に手を引かれて沖縄の豆記者との交流の輪に加わるなど、愛子さまは幼いころから、ごく自然に戦争と平和についてお考えになれる環境にありました。特に今年は節目とあって、平和を希求する皇室のご活動へのいっそうのご覚悟を意識されていらっしゃるようにもお見受けしています」(皇室担当記者)

そして、節目の終戦の日に先立つ12日、9月に予定されている両陛下の長崎県ご訪問に、愛子さまが同行されることを宮内庁が発表したのだ。

じつは本誌は6月17日発売号で、愛子さまが長崎での慰霊を希望されていることを報じていた。だが宮内庁関係者によれば、

「両陛下の行幸啓に、愛子さまがともに赴かれると発表があった際には、多くの職員に驚きが広がりました。というのも、7月中旬に調整されていた両陛下の長崎ご訪問の日程には、原爆慰霊碑への拝礼といった慰霊行事、そして国民文化祭の開会式などへのご臨席やご視察があっただけで、同行される話は一切なかったのです」

天皇ご一家による長崎県ご訪問は、9月12日から2泊3日の日程だ。初日は平和公園の原爆落下中心地碑での拝礼や原爆資料館のご視察、13日午前には被爆者が暮らす施設での交流、そして同日午後以降は、愛子さまはお一人で帰京され、両陛下は国民文化祭に関係する行事に臨まれる。

だが愛子さまはご同行を実現されるにあたり、逡巡の日々を過ごされていた。ご勤務先の日本赤十字社(日赤)の青少年・ボランティア課は、夏休みで増える学生のボランティアの研修などで多忙な時期にあたるとされる。

「毎年8月下旬に、日赤本社に全国からボランティアの代表者が集まり研修会が開かれています。

この行事への対応などで、夏にかけては愛子さまの部署は忙しい時期だと伺っています。またモンゴルご訪問を終えられた両陛下と、那須や須崎で静養されるひと時がありました。

こうした時間、ご家族との語らいのなかで、愛子さまはあらためて、ご自身がいまだ訪問されたことがない長崎県に、両陛下と赴かれる意義についてお考えを深められていたとお見受けしています。

6月の天皇ご一家での沖縄県ご訪問は、戦争の悲惨さを次世代に語り継いでいこうというご姿勢に、県民のみならず国民全体に賛同する声が広がりました。さまざまな要素が重なり、“戦争の記憶と記録を継承する”という両陛下の旅にご自身が果たす役割への自覚を深め、いっそう貢献したいというご決意を、愛子さまは固められていったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

長年皇室番組を手がけている放送作家のつげのり子さんは、愛子さまが常々“戦争と平和”について考え抜かれているからこそ、長崎へ同行されることを願われたのではないかとし、こう続ける。

「戦争と平和というテーマに対して、愛子さまは幼いころから向き合われてきました。天皇陛下や雅子さまの薫陶を受けながら、ただ歴史を学ぶだけではなく、実際に戦争の記憶が刻まれた場所に足を運び、その経験を受け継ぐ人々に話を聞かれることなどを繰り返し継続されてきたのです。

愛子さまのその営みは、戦争がどれほど悲惨なことか、肌で感じようとなさっていたのかもしれません。まさに自分が戦争を体験したような感覚にまで研ぎ澄まそうとなさっているようにも思います。ゆえに長崎にご一緒することは、必然だったようにも感じています」

そして愛子さまは、長崎ご訪問の先の展望についてお考えだと、前出の宮内庁関係者は話す。

「愛子さまは年内にも、広島市を単独で訪問したいと、両陛下に強いお気持ちを示されているようなのです。広島には2016年5月に学習院女子中等科の修学旅行で訪問されていますが、成年されてからはまだ足を運ばれておりません。

6月に両陛下は広島を訪れ、原爆慰霊碑への供花、拝礼をされており、じつは愛子さまも同行を望まれていたようなのですが、日赤でのお仕事の都合なども勘案され、実現できなかったと……。やはり戦後80年のこの機会だからこそ、何らかの形で訪問できないか、両陛下と相談なさっているのではないでしょうか」

■原爆の悲惨さを率直に表現され……

“単独で広島での慰霊を”と、愛子さまが直訴されるほどの決意は、女子中等科の卒業文集に寄せた作文「世界の平和を願って」をつづられた時点で垣間見えていたという。

「作文には、《まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた》などとつづられていますが、これほど原爆の悲惨さを鮮明かつ率直に表現された皇族はほかにはおられません。

今年の広島市の平和記念式典でも、“年内に愛子さまに来ていただきたい”と語る市民は少なくなかったと聞いています。それは、平和を願う愛子さまのお気持ちが伝わっているからなのでしょう」(前出・皇室担当記者)

前出の作文には、

《「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう》

とも記されていた。戦後80年のその先も平和を守り抜くため、愛子さまは今日も、広島へ旅立つことを熱望されている。

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