軽井沢駅からお出ましになった上皇さまと美智子さまが、ゆっくりとお車に向かって歩かれていた。駅前に集まっていた地元の人々や観光客からの「上皇さま!」「上皇后さま!」という歓声に上皇さまは、右手を上げて応えられた。
上皇さまの左手をずっと握っていた美智子さまも、そんなご様子に、ご表情をゆるめられたようだった――。
8月21日から29日のご日程で、長野県軽井沢町で静養される上皇ご夫妻。皇室担当記者はこう語る。
「上皇さまは今年、2回入院されています。まず5月に東京大学医学部附属病院に検査入院され、『無症候性心筋虚血』との診断を受けられたのです。
さらに7月には、新しい内服薬を追加するために入院されました。この際、新たに『上室性不整脈』も確認されています」
上皇さまのご体調異変のため、7月下旬に予定されていた栃木県の那須御用邸でのご静養は中止となったという。
「宮内庁内では、8月の軽井沢ご静養も、お取りやめになるのではないかとささやかれていました。ずっと慎重に検討されていましたが、お痛みなどの自覚症状がないことから、実現にいたったそうです。
万が一の際の医療態勢も、万全を期しているそうです。常に侍医たちがおそばに控え、応急措置ができるようになっていますし、軽井沢町周辺の病院とも連携をとっています。とはいえ、ご決断にいたるまでには、美智子さまも深く悩まれたに違いありません。
軽井沢駅でも、例年に比べて上皇さまはご表情に乏しい印象を受けました。かたや美智子さまはずっと緊張されているご様子でした」(前出・皇室担当記者)
美智子さまは、上皇さまの心臓のご不調以外にも、認知機能の衰えや、加齢に伴う体のさまざまな機能の低下、“フレイル”とも日夜闘われている。
「美智子さまは、上皇さまのフレイル防止のために、侍従や侍医たちと日々の運動量を、綿密に調整されています。
その日の天候や、上皇さまのご様子などにより、運動量を決められるのです。最近は入院前と比べて、運動量も半分ほどに制限しているそうです。心臓に負担がかかる階段の上り下りは休止し、仙洞御所内の室内での散歩がメインになっているとか」(前出・皇室担当記者)
近年の上皇ご夫妻は、ご朝食後の音読を日課とされている。宮内庁関係者によれば、
「読まれてきたのは、上皇さまが学習院初等科時代に使われていた国語の教科書などです。昔になじまれた作品を読み、当時の記憶を呼びおこすことによって、認知機能の低下を緩和する効果を、より期待されているのでしょう。
美智子さまが、ご心臓の状態を憂慮されながら軽井沢ご静養を決断されたのは、上皇さまに懐かしい思い出を追体験していただきたいと思われてのことだと思います」
■ご友人との交流も今夏は控えられて
上皇さまと美智子さまが初めてお会いになったのは68年前、軽井沢のテニスコートだった。
「お子さま方が幼少のときも、夏休みは軽井沢でお過ごしでしたし、まさに上皇ご夫妻にとって、“思い出の宝庫”ともいえる地です。
軽井沢近辺にはご友人たちの別荘も多く、昨年までは頻繁にご訪問されていたのですが、今年はお控えになると聞いています。それでも仙洞御所でお過ごしになるよりも、上皇さまのご体調のためになるという、美智子さまのご判断なのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
かつて上皇ご夫妻は、軽井沢で過ごされたのち、群馬県の草津に移動され、「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のコンサートを鑑賞されていた。
美智子さまのご友人の一人はこう話す。
「草津でピアノの練習をされることを美智子さまは楽しみにされていました。また、私もご挨拶できることを心待ちにしていました。
ただ’20年以降はコロナ禍もあり、上皇ご夫妻は草津の音楽祭にお見えになっていません。ご高齢となりましたが、上皇さまもお元気になられ、また草津でお会いできればと祈っております」
ご到着翌々日の23日、上皇ご夫妻は、戦後に旧満州から引き揚げた人たちが入植した大日向開拓地を訪問し、キャベツ畑をご散策。
上皇さまは「よく育っているみたいだね」などと、生育状況についてさかんにお話しになり、なじみ深い光景が広がっていることに笑顔を見せられていた。
“上皇さまには、もう一度もっと笑顔を見せていただきたい”、そんな願いでかなえられた憩いのひとときに、美智子さまは、上皇さまをお守りするという思いをさらに強められたことだろう。