「9月上旬、約4カ月にわたる撮影を終え、映画『教場Ⅲ』(仮題)の打ち上げが湾岸スタジオ内のレストランで開催されました。木村さんは乾杯の音頭をとるとき、『こういったところで打ち上げを行うのは初めてですが、ここでやる理由は察してください』と苦笑いして、会場を沸かせていましたね。
フジテレビは現在、中居正広氏(53)の一連の問題で’25年6月30日までの約半年で453億円以上の損害を被ったと公表。元社長の港浩一氏(73)と元専務取締役の大多亮氏(66)に50億円の賠償を求めて提訴する状況に陥っています」(映像制作関係者)
’26年に公開を控える木村拓哉(52)の主演映画『教場Ⅲ』の打ち上げには、出演者、スタッフ含めて150人前後が集まっていた。
木村にとっても同作を撮り終えた喜びはひとしおだったようだ。8月25日に自身のInstagramを更新し、『教場Ⅲ』がクランクアップしたことを明かし、こうつづっていた。
《信じられないような過酷な状況の中でも、次のone cutに向けて一緒に踏ん張ってくれた現場のスタッフの皆さん、共演者の皆さん。本当にありがとうございました! 感謝》
’20年にフジテレビ開局60周年特別企画のスペシャルドラマとしてスタートした『教場』は、翌年に『教場Ⅱ』が放送され、’23年の4月期には月9枠で『風間公親-教場0-』が制作された。
’24年の春にもスペシャルドラマの放送を予定していたが、’23年9月に制作延期が報じられた。旧ジャニーズ事務所の創業者による性加害問題が明るみに出たタイミングだった。
当時、木村はジャニーズ性加害問題を受け、日本マクドナルドとの広告契約が終了。また大手企業とのCM契約が白紙になったと報道されていた。
当時の専務・大多氏は定例会見で、「スポンサーの関係ではない」と説明していたが……。
「制作延期のいちばんの理由は、木村さんが完成した台本に納得しなかったことだそうです。
木村さんは脚本に強いこだわりを持っていて、ロケ中でも気になる部分があればスタッフらと徹底的に話し合うタイプ。
大幅な書き直しを望んだ背景には、創業者による性加害問題があり、『絶対に失敗できない』という強い責任感があったためだそうです」(芸能関係者)
■「ファンの人たちにすごく心配をかけた」
木村は’24年1月に『さんまのまんま』(フジテレビ系)に出演した際、ジャニーズ問題について初言及。「被害者の方たちがいらっしゃる話なので」と断ったうえで「仕事の現場の方たちだけじゃなく、ファンの人たちに対しても、すごい心配をかけたなっていうのは、申し訳なかったなというのが非常にありますね」と率直に語っていた。
その後、木村はSTARTO社の主催する広告主向けのパーティに多忙の合間を縫って出席するなど、“事務所の長男”として奔走している。
被害者への補償が進み、『教場Ⅲ』の話が水面下で動き始めていた昨年12月ごろ、またしても波乱が。元SMAPの中居による元フジテレビアナウンサーへの性加害問題が報じられた。中居は今年1月23日に芸能界を引退。フジテレビも騒動への対応が問題視され、スポンサー離れが相次いだ。
木村は報道後の1月8日にCM発表会に登壇した際、「あんまりこう重々しい空気はなしで、なんかこう楽しく過ごせればいいかなと思っております」と報道陣に向かって呼びかけ、中居の話題を回避したことがあった。
「当時、フジテレビをNGにした芸能人が複数名いたと報じられていたなかで、木村さんは自発的に『教場Ⅲ』への出演を決めました。
木村さんは月9へのレギュラー出演回数がもっとも多い俳優です。“お世話になったフジテレビを救わなければ”というおとこ気で動いたのでしょう。
また元SMAPの仲間として少しでも償いができるのであればという思いもあったはずです」(前出・芸能関係者)
トラブルを乗り越え、4月にクランクインした『教場Ⅲ』だが、別のトラブルが。5月に共演者の趣里(34)と三山凌輝(26)の結婚発表の延期が報じられた。
「直前に三山さんの女性トラブルが報じられていたため世間を騒がせることに……。
渦中の趣里さんは妊娠していたため木村さんはより手厚く親身にフォローしたそうです。過去に妊娠中の女優と共演した際、早朝や深夜のロケを避けるため、自ら率先してスケジュールを調整していました。今回も座長として、同様の配慮をするように伝えていたといいます」(前出・映像制作関係者)
さらに“統計史上最も暑い夏”も木村の前に立ちはだかるーー。
「猛暑のなか、木村さんは常に気丈に振る舞っていましたね。
しかしあまりの暑さにスタッフがロケ中に熱中症で倒れ、救急車で搬送されたことがあったそうです。それ以降、現場では負担を軽減するため、ハンディファンが使われるようになったと聞いています」(前出・映像制作関係者)
■気温36度のなか、剣道着に身を包み
本誌は、7月上旬に関東近郊にある公園の武道場で『教場Ⅲ』の撮影に臨む木村を目撃している。
気温が36度を記録するなか、濃紺の剣道着に身を包み、稽古シーンを撮影していた。その表情は真剣そのものだった。
木村座長のもとで未曽有の事態を乗り越え『教場Ⅲ』を撮了した共演者とスタッフたち。
「ある若手俳優が『木村さんとの初めての撮影では前日に何百回も練習して挑みましたが、いざ目の前にすると頭が真っ白になりました』と撮影の裏側を明かし、笑いが起きていました。一方で、『なかなか芽が出ず、一時はもう役者を辞めようと思っていました』と本音を告白した若手俳優もいました」(前出・映像制作関係者)
出演者たちが挨拶し、最後は木村の番にーー。そこで一連の中居問題について、ついに重い口を開いたのだ。
「まず木村さんは『この暑いなか、移動距離もかなりあって撮影は大変だったと思います。まずは車両部の方たち、制作部の人たちありがとうございました』とスタッフに感謝を伝えました。
さらに『ジャニーズ問題、そしてフジテレビもいろいろとあったなかで、制作してくれて本当によかったです』と素直な気持ちを打ち明けたのです」(前出・映像制作関係者)
自身も大きな影響を受けてきたなかで、ジャニーズ性加害問題・フジテレビ問題に振り回されてきたスタッフ陣を労った木村。
さらに後輩俳優たちにもメッセージを送った。
「『俺もいずれ辞めるときがくるかもしれませんが、求められている限り、需要がある限りは頑張ります。だからみんなも頑張れ!』と励ましていましたね。木村さんの言葉を聞いて、涙を浮かべている出席者もいました」(前出・映像制作関係者)
中居が発端となり起きたフジテレビ問題に初めて言及し、引き際を語った木村の胸中を前出の芸能関係者はこう推察する。
「’20年に中居さんがジャニーズ事務所を退所した際には、木村さんは事務所を通じて、『それぞれが決めたこれからの人生、お互いに前に進もう』とコメントしていました。
それから5年、ジャニーズの性加害問題や中居さんの女性トラブルといった激動の日々を経て、いつか訪れる“引退”を少なからず意識するようになったのでしょう。だからこそ、今を一秒たりとも無駄にすることなく全力で取り組む大切さを伝えたかったのだと思います」
“鬼教官”によるスピーチは、数々の苦難にともに立ち向かった仲間たちの心を震わせていたーー。