‘76年、「どうぞこのまま」で大ヒットしたシンガーソングライターの丸山圭子(71)。現在も歌手活動は続けており、10月25日に発売される3年ぶりのアルバム『彩色兼美』にも「どうぞこのまま」は収録されるという。
「今思えば、ジェットコースターのような人生を送ってきた気がしています。歌を歌うようになったきっかけは高校2年生の文化祭。女友達3人で組んでいたグループで歌を披露したんです。私はとにかくあがり症で、楽しいというより緊張のほうが勝っていました」
その後、この3人組でオーディションを受けたが不合格。さらにその翌年にオーディションの誘いを受けたので1人で挑戦した。
「大学進学を考えていて、親が学校の先生だったため私も『学校の先生になったら?』と勧められていた頃でした。ですが行きたい学校が見つからなかった。そんなときにオーディションで入賞してデビューに繋がりました。反対する母をレコード会社の方が説得してくださったんです」
‘72年にデビューし、アルバム収録曲の「どうぞこのまま」が有線放送から人気に火が付いた。’76年に急遽シングルカットされ、翌年までに80万枚を超えるロングヒットとなった。
同時に、ほかの歌手への楽曲提供も精力的に行っていた。
「’78年に百恵ちゃんに楽曲提供するんですが、のちに聞いた話によると実は百恵ちゃんが私を指名してくださったそうなんです。『どうぞこのまま』がヒットしていたころ、百恵ちゃんとはテレビ番組でよくご一緒していて電話でもお話するぐらい仲も良かったので、とても嬉しかったですね。
レコード会社からの依頼は“百恵さんに似合う楽曲を”というのみ。私が彼女に抱くイメージは、ほかのアイドルにはない、陰のようなものが魅力的で素敵な女性。そこで作ったのが『水鏡』という曲でした」
丸山さんは4歳年下の百恵さんに尊敬の念を抱いたという。
「私はとにかくあがり症で、テレビでもポーカーフェイスで歌うしかできなかった。でも百恵ちゃんは、さりげない手ぶりやちょっとした体の角度の工夫で完璧な魅せ方をしていた。番組でご一緒すると、必ず袖で百恵ちゃんを見て勉強させてもらいました。
いっぽうで私も百恵ちゃんも当時は仕事がとても忙しかったので、“どうやって睡眠時間を取ってる?”という話をしていました。2~3時間しか眠れないという生活だったんです。百恵ちゃんは『意外と畳の楽屋とか、長い移動の電車の中とか、そういうのがとてもありがたくて、そういうときは必ずぐっすり寝ちゃう。
丸山さんは‘78年に結婚し、’79年に第一子(音楽家のサトウレイ)を、’93年に第二子を出産。しかしその後、思わぬ事態が丸山さんを襲う。
「2人目の子を授かった後、夫との関係が悪化して離婚調停が続いていました。離婚したら1人で子どもを育てていかなければならないという責任やプレッシャー、そして果てしないストレスで、心身ともに極限まで疲れていました。そしていつからかひどい貧血に悩まされるようになって、階段を少し上っただけで息が切れてしまうようになりました。それでもまだ小さい下の子のことを考えると病院に行くのもためらってしまって。意を決してようやく病院で検査を受けたら卵巣に大きな腫瘍が見つかり、即入院。医師からは『なぜここまで放置したのか』『もう一歩も動いちゃダメ』と叱られました」
1カ月ほどの入院生活。ヘッドホンで音楽を聴きながら退院後の生活について頭を巡らせていたあるとき、転機が訪れる。
「隣のベッドに入院していた女の子が、私が歌手だったことを知ると、目を輝かせて『退院したら私に作詞作曲と歌を教えてください!』と言ったんです。偶然にも彼女はシンガーソングライター志望だったそうなんです」
退院すると、約束通り彼女に1対1でボイストレーニングと作詞作曲のレッスンを開始。口コミで生徒は増えていった。
「同じころ、ギタリストの鳥山雄司さんから“音楽専門学校の講師を探してる”と聞いたんです。彼はその学校の副校長だったんですね。それで私はその日のうちに『私、やります』と立候補して雇っていただきました。
歌手時代は公演のため必ず地方にも行かなければなりませんでしたが、育児との両立を難しく感じていました。そんなときに時間の融通の利く仕事が見つかったのは、隣のベッドの彼女のおかげですね。
専門学校の校長には『教えるのがうまい』と褒められました。父は大学の助教授、母も大学の教授だったので遺伝子かなと思いました(笑)。それになにより、人が成長していく姿を見るのがとてもうれしいですね」
専門学校で講師を務めた後には、洗足学園音楽大学の客員教授を今年3月まで務めた。長い指導者生活のなかでは“ダイヤの原石”との出会いもあった。
「アニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』の主演声優・仲村宗悟(37)は専門学校の生徒で、私は彼に2年間個人レッスンをしていました。宗悟は本当にいいものを持っていて、すごくいい曲を書いたし、とにかく声もよかった。だから卒業するとき、『歌だけじゃなくてもアナウンサーとか声優とか、声を使う仕事に就いたほうがいい。あなたは絶対、そういうものになれる』と言いました。
そしたら卒業してから声優の学校に入って、今の活躍に繋がっている。スターになってくれてうれしいです」
‘21年に「日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞したロックバンド・マカロニえんぴつは洗足学園音大での教え子だ。
「マカロニえんぴつのリードボーカル・はっとりくんがよく私の個人レッスンを受けていましたし、ほかのメンバーも私の作詞作曲の講座を受けていたので、メンバー全員よく知っていますよ。
はっとりくんは、繊細な面もある人で随分悩む時期もありましたね。はっとりくんの詞は私からするとちょっと伝わりにくい言い回しのようにも思えたので、『もっとストレートに気持ちを伝えたほうがいいよ』と指導したこともありました。でも彼らがあれだけ支持されているということは、複雑でストレートではないはっとりくんの詞がやはり今の時代に合っているのでしょう」
ただ、丸山も「教え子の活躍にまだまだ負けていられない」と話す。
「10月25日に出すアルバム『彩色兼美』には、息子と、教え子でショパン国際ピアノコンクールアジア大会で3位を受賞した穴水佑輔くんも参加してくれています。全員違う発想を持っているので、化学反応を楽しんでいます。
私が売れていた70年代はまだまだ海外との距離は遠く、“海外に負けないぞ”という気持ちで音楽を作っている人が多かったと思うんです。今回のアルバムには『どうぞこのまま』も収録しているのですが、この曲が大好きだと、私の大学に中国から留学してきてくれた学生もいて、歌に時代や国境がないことを実感しました。とてもうれしいことですね」
10月には東京・赤坂、11月には大阪、京都、そして名古屋でもライブを開催予定。「声が出る限りは歌で伝えていきたい」と意気込む丸山。彼女の挑戦は“ずっとこのまま”続いていく――。