「気が付けば、いつも自分が行きたい方向に進んでいましたね」
そう語るのは今年、俳優生活40周年を迎えた川野太郎(65)。’85年にNHK連続テレビ小説『澪つくし』で沢口靖子(60)の相手役としてデビュー。
「子供の頃は野球選手に憧れる野球少年でした。でも母によく映画館に連れて行かれて、俳優への淡い思いも抱いていたんです。ただ、大学の学費を一生懸命仕送りしてくれていた母は、最初は俳優になることに反対でしたね。ですが、NHKの朝ドラ出演が決まった時には“よかったね!”と母も喜んでくれました」
デビューから40年。これまでの俳優人生を振り返ると、数々の出会いが節目となってきた。特に大きな存在として思い浮かぶのが故・渡哲也さんだ。1990年の『代表取締役刑事』で一年間共演したときのことを今も鮮明に覚えている。
「休憩時間に渡さんの大型バスに呼ばれて、お茶をいただいたんです。最初は若手が何人もいましたが、出番で一人、また一人と出て行って、最後は僕と渡さんだけに。1時間くらい人生哲学や俳優の心得を話してくれました。
‘94年には情報番組『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)の司会に抜擢されたが、このときも真っ先に相談したのは渡さんだった。
「偶然仕事場でお会いして“ワイドショーの司会の話があるんです”と伝えたら、“川野くん、これからの時代はどんどんテレビに出た方がいい”と言ってくれました。映画の時代を生きてきた渡さんにそう言われて、オファーを受ける決心ができたんです」
先輩俳優との交流に加え、川野を支えてきたのは家族の存在だった。’09年、妻が子宮頸がんを患ったときは大きな試練に直面した。
「最初はステージ2と言われていたんですが、詳しく検査をしたらステージ4。正直、命は助からないかもしれないと思いました。手術はできず、抗がん剤と放射線治療で………。でも奇跡的に良くなって、2カ月半後に退院できた時は家族で抱き合って泣きました。子どもたちは当時のことを“覚えていない”と言うんですが、たぶん苦しい記憶に蓋をしているんだと思います」
妻の闘病を乗り越え、家族の絆は一層強くなった。そんな中で、息子・雄平が俳優を志すようになった。
「息子に俳優業への興味があると聞いたのは妻からでした。息子に理由を聞くと“親父の跡を継ぐのは当たり前“と思っていたそうです。最初は反対しましたよ。俳優業は、しなくてもいい苦労がたくさんありますから。でも本人が何年もかけて決断した。初共演の時、現場で僕のことを“太郎さん”と呼んでいて、そのうち家でもそう呼ぶようになったんです。彼なりに俳優として生きる覚悟を固めたんだと思います」
舞台『野良犬譚』は、川野の俳優デビュー40周年を記念した作品。この作品で、親子は3度目の共演を果たす。
「今年初めて共演したと思ったら、もう3度目(笑)。一緒に舞台に立てることはありがたいし、刺激にもなります。父と息子でありながら、同じ舞台に立つと俳優同士の関係になるんです」
川野が今作で演じるのはこれまでにない役どころだ。
「傲慢で自己中心的な役柄です。
そして40周年を迎えた今も挑戦を続けている。
「これからも舞台やテレビで役として生きられるなら幸せです。実は歌にも挑戦したいと思っていて、今はレッスンを受けています。小さなライブでもいいから、心で歌える歌を届けたい。高齢化社会ですから、同世代の方を励ませるような歌が歌えれば……」
川野は、俳優としての歩みをこう総括する。
「人との出会いに恵まれたから、ここまで続けてこられたと思います。これからも一つひとつの作品に誠実に向き合いたいですね」
40年の軌跡と家族への思いを胸に、川野太郎が新たな物語を紡いでいく――。